「基本的人権の尊重について述べよ。」
基本的人権とは、人間として本来もっている権利である。人間は生まれながらにして自由・平等であり、この権利はどのような政治的権力によっても侵されないとする自然権の考え方を背景としている。
日本国憲法においては、第11条では、国民の基本的人権の享受・不可侵性を定め、第13条では、個人主義の原則を明らかにし、国家権力は公共の福祉に反しない限り、国民の基本的人権を最大限尊重すべきことを定めている。
公共の福祉に反する場合、人権が制限されることがあるが、公共の福祉とは社会全体の利益の為に個人の人権を制限するものではない。個人の人権が他の人の人権を侵した場合のことで、例えば表現の自由とプライバシーの問題などである。
基本的人権の思想は17世紀に始まる。17、18世紀における市民革命において主張された人権の内容は、全般的にみると自由権がその中心であったということができる。専制政治によって自由が抑圧されてきていたことに対する必然的な動向といえよう。この自由権は財産の自由(私有財産の不可侵)、経済活動の自由として、資本主義経済の発展の原動力となったことはいうまでもない。1689年のイギリスの権利章典・1776年のアメリカの独立宣言・1789年のフランス革命における「人間及び市民の権利の宣言」などはその典型的なものである。
ところが、この自由を中心とした人権の保障も、自由放任的な経済の発達に伴う無制限な自由競争の結果として、著しい貧富の差を生むことになり、労働者をはじめとして多くの人々の生活を苦しめることとなっていく。20世紀を迎えると、人権の内容として、自由権とともに個人の生存権を保障する必要性が認識されるようになった。そこから1919年のワイマール憲法を初めとする20世紀的な生存権的基本権が成立する。日本国憲法もワイマール憲法を見本にしている。
憲法で定められている基本的人権を内容的に見ると、法の下の平等、自由権、社会権、参政権・国務請求権がある。
「法の下の平等」とは、権利の享有や義務の負担に関して、全ての人が法律上平等に取り扱われなければならないとする民主主義の根本原則である。近代憲法の基本原則の一つであるが、当初は、法律の適用において平等に取り扱われる意味として認識された。しかし、法律の内容自体が平等でされなければ、不平等な法律を平等に適用したところで、平等の実現は到底出来るものではない。そこでこの原則は、法の内容そのものがすべての人に平等でなければ意味を持たないものとして理解されるようになり、現在では、法の内容と適用において平等でなければならないものと取り扱われている。
日本国憲法では第14条で、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、このことを明確にしている。同条は、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」と規定しているが、これらは例示的に上げられたものにすぎず、これ以外の基準以外での合理的理由のない差別が許されないのはいうまででもない。これに対して合理的理由に基づく取り扱い、例えば、女性特有の事柄である出産等に対する男性とは違った特別な取り扱い(女性の出産休暇等)は、平等原則に反しない。
「自由権」とは、人が生まれながらにもっていて、国家などによって侵されることのない権利である。日本国憲法は、精神的自由、人身の自由、経済の自由など、数多くの自由権を保障している。自由権は、公共の福祉に反しない範
「基本的人権の尊重について述べよ。」
基本的人権とは、人間として本来もっている権利である。人間は生まれながらにして自由・平等であり、この権利はどのような政治的権力によっても侵されないとする自然権の考え方を背景としている。
日本国憲法においては、第11条では、国民の基本的人権の享受・不可侵性を定め、第13条では、個人主義の原則を明らかにし、国家権力は公共の福祉に反しない限り、国民の基本的人権を最大限尊重すべきことを定めている。
公共の福祉に反する場合、人権が制限されることがあるが、公共の福祉とは社会全体の利益の為に個人の人権を制限するものではない。個人の人権が他の人の人権を侵した場合のことで、例えば表現の自由とプライバシーの問題などである。
基本的人権の思想は17世紀に始まる。17、18世紀における市民革命において主張された人権の内容は、全般的にみると自由権がその中心であったということができる。専制政治によって自由が抑圧されてきていたことに対する必然的な動向といえよう。この自由権は財産の自由(私有財産の不可侵)、経済活動の自由として、資本主義経済の発展の原動力となったことはい...