一、はじめに
龍樹は古インド仏教の哲学家であり、大乗仏教の創立者。大乗仏教の基本的立場は「空」である。「空」=縁起。縁起とは、相依して生じさせる働き、条件つけの関係によって成立している、永遠不変のものはない。世界中、一切のもの、及ぶ人々の認識、感覚、概念、意識、また、地、水、火、風などの元素は相対的に、依存的関係があり、不真実なものである。
けれども、一切空であれば、森林羅布の「世間万物」はどうやって解説すればいいだろうか。この矛盾を解説するため、龍樹は二諦説(真諦説、俗諦説)を提起した。仏陀は凡夫に、俗諦を採用し、世界と衆生の真実存在を説法する。また、真理を洞察できる人に、真諦を採用し、世界と衆生の真実性を否定して説法する。世俗諦があれば、真諦が達するという考えを提唱する。
二、『般若経』
龍樹思想の依存の経典といえば、『十地経』などもあげられるが、やはり『般若経』である。たとえば、『中論』の帰敬に示される「八不の縁起」にしても、「八千 般若経の教説の中に見て取れることが知られている。
つまり、求道心と難行とに基づく般若波羅蜜の実践者である常諦菩薩が法上菩薩に出会われ、従来持ち続けた疑問を「これらの如来はどこから来られ、どこへ行かれたのですか」と尋ねられたのに、たいして、法上菩薩が「 如来はどこから来られたのでもなく、どこかへ行かれたのでもない」といわれ、さらに、「如来は生じたものではないから、来たり行ったりせず、空性こそ如来である」と答える。そして、蜃気楼や魔法、あるいは、夢の比喩でもって説明する。
1、蜃気楼の比喩
ある人、真夏の暑い日に、水が流れているように陽炎を見る。「ここで水を飲もう」とあちこち駆け回る。その人のことを考えるか、また、その水はどこから来たのであり、この水は何処にいくのか。
龍樹と「大乗仏教」
一、はじめに
龍樹は古インド仏教の哲学家であり、大乗仏教の創立者。大乗仏教の基本的立場は「空」である。「空」=縁起。縁起とは、相依して生じさせる働き、条件つけの関係によって成立している、永遠不変のものはない。世界中、一切のもの、及ぶ人々の認識、感覚、概念、意識、また、地、水、火、風などの元素は相対的に、依存的関係があり、不真実なものである。
けれども、一切空であれば、森林羅布の「世間万物」はどうやって解説すればいいだろうか。この矛盾を解説するため、龍樹は二諦説(真諦説、俗諦説)を提起した。仏陀は凡夫に、俗諦を採用し、世界と衆生の真実存在を説法する。また、真理を洞察できる人に、真諦を採用し、世界と衆生の真実性を否定して説法する。世俗諦があれば、真諦が達するという考えを提唱する。
二、『般若経』
龍樹思想の依存の経典といえば、『十地経』などもあげられるが、やはり『般若経』である。たとえば、『中論』の帰敬 に示される「八不の縁起」にしても、「八千 般若経の教説の中に見て取れることが知られている。
つまり、求道心と難行とに基づく般若波羅蜜の実践者である常諦菩薩が...