連関資料 :: 民族について

資料:37件

  • 国家とは、民族とは
  • 人はあることを語るにあたってその言葉の定義を知らなかったり、曖昧な意味しか知らなくとも使用してしまうことがある。例えば国民とは何か。国家とは、民族とは、それらは普段我々がよく使う言葉だが、それらの定義をしっかりと把握して使用しているものは決して多くない。国家というものは“国家は単一の民族からなり、民族と国民とは同義である”(世界民族問題事典424P、国民国家)として近代においては考えられていた。しかし、現在単一の国民からなる国家はまれであり、民族という概念とは完全には整合しえない。そして国家というものは単一民族国家から1648年のウエストファリア条約から始まったとされる国民国家へと変化していった。さらに過去に遡れば、国家とは都市国家(ポリス)のことでありそこは政治の行われていた場所であった。また民族も同様に常に変化してきている。(世界民族問題事典、1117P、民族とは何か)民族の定義にあたって客観的基準と主観的基準が用いられているが、そのような基準だけでは民族を定義するにはいたらない。なぜなら民族というものはその内部において民族間の境界は曖昧なものであり、異質なものの共存や同化、あるい
  • 日本 アメリカ 宗教 キリスト教 イギリス 政治 国家 差別 平和
  • 660 販売中 2009/06/17
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  • アイヌ民族
  • アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行っていた。アイヌにとってのカムイとは、単に畏れ、崇い、従うだけの絶対的な存在ではなく、人間と対等であり、対話をなし得るパートナーとして存在するものだったのである。それらの神々には、火や水、風といった自然神、クマ、キツネといった動物神、トリカブト、キノコといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがある。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼んでいたのである。つまりアイヌとは、「人間」を意味しているのである。この神への信仰こそがアイヌ民族の最大の特徴といえるであろう。また、アイヌ民族の生活と自然は深く関わっており、彼らの衣食住にもその様子は現れている。 まず、最初にアイヌ民族の食生活について見ていこうと思う。アイヌ民族はよく狩猟民族を言われるが、狩猟だけで生活していたわけではない。畑を耕して農作物を作ったり、山菜を採取したり、魚などを取ったりして生活をしていた。仕事の役割は、男は狩りを、女は畑仕事や山菜の採取・
  • 先住民 アイヌ アイヌ民族 北海道 カムイ 民族
  • 550 販売中 2008/01/30
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  • 中国人の民族性、現在の中華人民共和国の民族問題について
  • ○現代日本人は日常の中で中国人と言う語句を何の抵抗もなく使用している。しかし、中国人をどのように定義するべきなのかについては難しい問題で曖昧になったままである。 ○そもそも中国は中華人民共和国と中華民国(台湾)と別れて二つの国家が存在している。つまり、二つの国家があって、どちらも中国人となせるのか?何故どちらも中国人として認識されることがあるのか?これにはいくつかの事情が重なって複雑怪奇な問題として残されている。 ○まず中国にはその人口数からも分かるように実に多数の民族が住んでいる。最も大多数を占めているのは漢民族だがそれ以外に55以上の少数民族が住んでいる。また、中国は「諸民族の統合と平等を」理念として掲げており、いくつかの各区に自治権を認めている。 また、中国語といっても様々な方言がある。現在の標準語は北方表現を基にして表現されている。この言語の多様性も中国が中国で在り難くしている要因だと思います。 ○日本人が普通に想定する中国人は漢民族である。しかし一口に漢民族と言っても地方により言葉や文化も違う。民族的に同一であればいいのか?といった疑念も考えなくてはならない。 ○これには中国の歴史的背景も含まれている。中国は過去最も世界の変動にいたといってもいいのではないか?日本の文化程度が最も低かった頃から19世紀に渡るまでに中国は世界のいずれかの国となんらかの関わりをもっていた。中国の地位が急速に低下したのは、 世界侵略政策が始まった19世紀頃であり、この頃中国は大きく変貌する。 ○現在の中華人民共和国の民族問題 中国の民族問題にはその固有性とともに、多くの点で世界の多文化主義との共通性が見られる。従って、中国を含めたグローバルな視野から、固有性と共通性の交差する場で、多民族や*エスニシティをめぐる問題系を解きほぐしてゆく必要があるだろう。
  • レポート 国際関係学 中国 日中問題 国際関係
  • 550 販売中 2005/11/17
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  • トルコにおける民族問題について
  • トルコにおける民族問題について  20世紀は“民族の世紀”とよばれ、(「クルド・国なき民族の今」より)世界の各国で様々な民族が独立を目指し戦ってきた。トルコにおいても、1991年以来、周辺世界で同時多発的に民族の問題が起こっている。今回は、そういった、トルコにおいての民族問題について、調べていこうと思う。  1970年代に入り、クルド人の民族意識は急激に高まった。トルコでも 後進地域である南東部地方の経済開発が進むにつれ彼らの社会を特徴付けてきた部族制が解体し、それを超えた民族的なまとまりができてくる社会経済的条件が整ってきた。そしてこのような社会的な変化によって不満が噴出し、それが反政府運動につながり、その過程でクルド人としての団結力が強まったのである。また、クルドの民族闘争はいくつもの複雑な面を持っている。クルドを内包する国同士が敵対関係にあり、冷戦時には米ソが影であやつり、またアラブとイスラエルの対立もこれに影響をあたえた。それ故クルドは幾度となく大国の思惑に翻弄された“悲劇の民”と呼ばれるようにもなった。現代のトルコはこのようなクルド人の民族問題をめぐって出口の見えない混迷の中
  • レポート 国際関係学 トルコ 民族問題 クルド人
  • 550 販売中 2007/07/30
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  • 民族紛争、エスニシティ
  • エスニシティ(ethnicity)とは共通の出自,慣習,言語,宗教,身体的特徴などに基づいて特定の集団のメンバーが持つ主観的帰属意識やその結集原理を意味する言葉として一般的には語られてきている。エスニシティは比較的新しい概念であり、20世紀になってからアメリカで“発見”された。また、アメリカには多くのエスニシティグループが存在する。一言でアメリカといっても白人、黒人、黄色人種、ユダヤ人、ヒスパニックなどさまざまな要素に分けられる。例えばアメリカ国内に住む日系住民は母国への帰属を完全に放棄したわけではなく、アメリカのなかに自らのコミュニティーを作り上げていった。完全に母国の生活習慣を捨てるのではなく、日本文化とアメリカの文化をさまざまな形で融合させていった。その典型ともいえるのは華僑ではないだろうか。彼らの作り上げるコミュニティは日本にもあり、有名なものは横浜中華街であろう。彼らの持つエスニシティという概念がそこまで明確に定義できるものでないので難しいが、民族や人種という概念と似た性質をもつとされる。 あるエスニックグループが生まれるということは一つの価値が発生するということであり、現在
  • 日本 アメリカ 文化 社会 差別 地域 韓国 問題 人間
  • 880 販売中 2009/06/17
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  • モンゴル民族の生活
  • モンゴル民族の生活  現在モンゴルに住む民族は、その大半が遊牧民族である。彼らの主食は主に乳製品である。牛、羊、山羊、馬、ラクダの5種類の家畜の乳から生産される加工食品は、大きくヨーグルト、チーズ、バター、酒類の4つに分類される。   ヨーグルトは乳をそのまま放置したり、前年の残りのチーズを砕き、その上から乳をかけて発行させて作る。容器は家畜の皮袋で、これは移動に適し、また決して中身を腐らせないという利点がある。これらのヨーグルトはバターやチーズを作る元にするもので、脂肪分を抽出していない未脱脂ヨーグルトをそのまま飲むことはない。飲用にするのはこれからバターを抽出した脱脂ヨーグルトである。  
  • レポート 社会学 モンゴル 文化
  • 550 販売中 2006/12/08
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  • 言語における民族のアイデンティティ
  • 序論  民族について考えるとき、民族同士を区別する要素の一つとして言語があげられる。言語はそれぞれの民族で独自の発展を遂げているものであり、言語は民族性を表すときに考えられる特徴の一つでもある。しかし、民族の中でもすでに民族語を喪失してしまった場合、民族の意識とはどのようになってしまうのだろうか。ここでは、民族語を失ってしまった満州族を例にとり、彼らが民族の絆をなにに求めているのかを考察していきたい。第一章では満州族の歴史と現状、第二章ではどのようにして民族語が消滅に至ったのか、第三章では民族のアイデンティティと言語政策、そして結論を導き出していこうと思う。 第一章  ここではまず、満州族の歴史と民族語である満州語の特徴、そして民族語を失ってしまった満州族の現状について説明してく。  1916年に満州族を統一した初代汗ヌルハチは、経済力・軍事力を重視すると共に民族意識をより強いものとするために蒙古文字を使って満州語を書き記すことを命じた。実際に満州文字の創設と呼ばれるのは、清朝皇帝となった二代汗ホンタイジの時代である。その後清は絶頂期を迎え、1911年の辛亥革命で中華民国に変わるまで、清は12代295年続いた。当時から使われていた満州語の系統は、満州・ツングース語族といわれる北東アジアに住む少数民族に属している。文法的には日本語や朝鮮語、モンゴル語、トルコ語と似て主語、目的語、動詞の順に並ぶという特徴がある。文字は縦書きの蒙古文字を改良したもので、アラビアやインドの文字の元となったアルファベットと同じ表音文字である。現在、満州族は1千万に近い人口を有しているがその人口は1982年に43,050万人であったのに対し、1990年には98,468万人と、8年間で2倍以上に増加している。  この中のほとんどが満州語を話せないという状況の中で彼らはなぜ、満州族に帰属するのか。現在満州族と自覚する人々が何を民族のよりどころにしているかは興味深い点である。では、そもそも満州語が使われなくなってしまったのはなぜなのか。
  • レポート 国際関係学 言語 民族 アイデンティティ 満州国
  • 550 販売中 2005/10/17
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