『脱アイデンティティ』(上野千鶴子編、勁草書房、2005)
第6章「言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ」鄭暎惠(チョン・ヨンヘ)をまとめる
1.他者の記憶とアイデンティティ
①私たちが”社会的存在”たりうるのも記憶の存在が大きく、記憶を蓄積し喪失しないためには”表現”が必要
②他者との記憶の差異を見ることなしに、人は”実存する過去”を手中に収めることができない
=「記憶は社会的に共有されていく」が、「双方の記憶は全く同一のものではありえない」ため、「双方の記憶の差異を見ることによってのみ、過去はより「立体的に」「複眼的に」再現される」。
※「他者に秘密にしてきた部分の自己は、他者によって認識。記憶されないことによって、実存しないに等しい」が、「現実には存在している以上、そのギャップが大きなアイデンティティ危機を生」む。
=例:通名を使って「在日朝鮮人」であることを隠そうとするその行為自体がアイデンティティ危機を生む。
③他者と共有された記憶があってこそ、アイデンティティは成立する。
「アイデンティティに深く根ざすこうした記憶を共有する他者を失うこと」=「私自身の「...