資料:5件
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幸福と理性の関係について
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「幸福と理性の関係について」
人は常に幸福であり続けたいと思い、いつも幸福を探し求めている。しかし、捜し求めている幸福は人それぞれ違い、同じことが起こってもそのことを幸福と感じる人もいれば、逆に不幸だととらえる人もいるだろう。
例をあげるなら、仕事がしたくてもできない人にとって、毎日忙しそうに働いている人たちのことを幸福な人たちだと思うだろう。しかし、毎日忙しく働いている人たちの中には疲れが溜まっていて休みたいと思っている人もいる。その人にとってはたまにある休みが幸福なのである。
しかし、幸福とは同じ繰り返しの毎日の中にもあると思う。幸福の大小も人それぞれ違うが、疲れて家に帰ってきた時温かいご飯や温かいお風呂が用意されていたら些細なことだが幸福と感じることができる。
つまり、幸福は身近なことであり、誰でも感じることができることだと思う。
では、今まで幸福論を唱えた人々の考えを述べていきたいと思う。
まず、エピクロスの幸福論について述べていく。エピクロス自身は何に最上の快(幸福)をみいだすのであろうか。それは、「身体的に苦痛がないことと、心が平静であること(アタラクシア)」である。このことを「静止した快」や、「永続する快」とよんでいる。つまり、どんな快であれ、それを受けおさめて自分のものにするのがよいとしている。しかし、エピキュリアンと呼ばれている享楽主義者ではない。
もし、ある快を味わうことで、後に身体に苦痛があるのならその快は味わうべきではないが、一時的な苦痛があっても結果的に身体の無苦や心の平静さが得られるならばそれを引き受けるべきである。
またエピクロスは、「思慮」と「自足」を重視している。それは、快の選択には思慮の働きが必要であり、無苦や心の平静さを得るためにはつつましい自足した生活のうちにみいだされると考えたからであろう。
世間との交渉によって心が乱されることを避けるため、心の平静さは、決して無理をしないで自然に従った簡素な生活のうちに達成されるものである。このことをエピクロスの有名な警句で「隠れて生きよ(ギlathebiosas)」とある。これはエピクロスの考えを象徴しているといえる。
では、ストア派の開祖ゼノンはどのような思想を持っていたのだろうか。ゼノンは自然に従って生きることであると考えた。つまり、「自然と整合的に生きること。」であった。これは、人間は動物とは違って自然本能的に衝動を統御する理性がそなわっているので自然に従うということは、「理性に即して生きること。」ということになる。理性が示す理法(ロゴス)は、自然全体として支配している。そして、これに従って生きることが自然と整合的に生きることにほかならない。つまり、ストア派が人間の「徳」とよぶのは、人間の魂が自然と理法と整合している状態のことである。
アリストテレスは幸福論についてどのような考えを持っていたのだろうか。
アリストテレスは、人間は理性をもつことによって他の動物から区別されるので、人間は人間に特有は理性能力をよく発揮して生きることにより、人間であるふさわしい善い生き方を送ることができるのである。しかし、人間が理性能力を発揮できなければ、人間らしい善い生き方とはいえないのである。
こうして、「人間の本性」に注目し、そこから「人間らしさ」という考えを導き出した。人間が理性を働かせないで、動物と同じように感覚や欲求にみを委ねて生きるという生き方は、人間的な生き方とはいえず、動物的な生き方である。つまり、その限りで「非人間的」な生き方である。動物がそのような生き方
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レポート
幸福
幸福と理性
幸福論
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幸福と理性の関係について述べよ
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「幸福と理性の関係について述べよ。」
人間は常に幸福を追い求め、幸福でありたいと願ってきた。幸福とは何か。それは人によってさまざまな捉え方がある。
今日の世界では、テロや戦争などで幸福な生活を奪われてしまった人や家族がたくさんある。お金がなく、食べものが買えず、不自由な生活をしている人も大勢いるが、その人たちにも自分なりの幸福がある。幸福とは、ものやお金で買えるようなものではなく、愛する人を大切にして、今の時間、今の自分を大切にするからだと考えるからである。
多くの人々は、幸福とは、善をなすことによってことによって獲得され、またその善は理性によって理解されると考えてきた。
たとえばエピクロスは、肉体的、感覚的快楽を否定し、身体的苦痛がなく、心が平静であること(アタラクシア)が最上の快、つまり幸福であると考えた。たとえば、好きなものを食べるのは一時の快であるが、食べすぎはやがて苦になるといったように、もしある快を味わうことで、後に身体に苦痛が生じたり、心の平静さが乱れたりするならば、その快は味わうべきではない。逆に一時的な不快や苦痛を伴うにしても、それが身体の無苦と心の平静さにつながるならば、それを引き受けるべきである。このようにエピクロスは、理性にしたがって真の快楽を選び、苦痛を避けなくてはならないと述べている。エピクロスの「隠れて生きよ」という有名な警句があるが、これも、煩わしい世間との交渉によって心を乱されることを避けるためである。心の平静さは決して無理をしない、自然に従った簡素な生活のうちで達成されるのであり、これが彼の勧めた善い生き方であった。
次に、ストア派の人々は、幸福は追い求めるものではなく、「理性に従って生きる」ことによって約束されると考えた。そこでストア派の開祖であるゼノンが勧めたのは、自然に従って生きることであり、「自然と整合的に生きること」であった。人間には動物と違って、衝動を統御する理性が自然本位的に備わっている。したがって人間の場合、自然に従って生きるとは、「理性に即して生きる」ということなのである。理性が示す理法(ロゴス)つまり普遍的法則は、人間の在り方をも含めて、自然を全体として支配している理法なのだ。よって、この理法に従って生きることが、自然と整合的に生きること、すなわち幸福を手に入れる方法にほかならないのである。逆に唯一の悪とされたのは、健康や名誉、財産など、感情や欲求に流されることであった。ストア派の人々は、そのようなものになんら惑わされることなく、心の平静(アパテイア)を保って生活をすることを理想とし、これが彼らのいう幸福なのであった。
次に、アリストテレスのいう幸福論を見てみる。アリストテレスは、人間のもつすべての能力が発揮されたとき、人間は幸福になれると考えた。彼によると人間は、植物の能力(栄養摂取、成長)と動物の能力(感覚、欲求)の他に、理性が備わっているとされた。したがって人間は、人間に特有なこの理性の能力をよく働かせることによって、善く生きることができるのである。人間が理性能力を発揮せずに生きるとすれば、それはもはや人間らしい生き方とはいえず、倫理的に悪だといえる。
アリストテレスは、善く生きることと幸福であることは同じであると考え、真の幸福は善くいきることのうちにあり、人間らしく生きる人間が幸福な人間であると考えた。幸福には常に快が伴うから、善く生きることに快を感じる人間が、真に幸福な人間であるともいえるだろう。
またアリストテレスは、理性によって示される人間の徳(道徳的に優れて
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幸福と理性の関係について述べよ
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「幸福と理性の関係について述べよ。」
人間にとっての幸福とは何であるか、考えたことがあるだろうか。自分にとっての幸福ならば、答えることが出来るが、「人間」という大きな括りで考えると、答えを出すことは難しい。なぜならそれは、人それぞれにより幸福の形が異なるからである。例えばエピクロスの様に、パンと水さえあれば幸福だと感じる人もいれば、豪華なフランス料理を食べても幸福だと感じない人もいる。又、失って初めてそれが幸福だったと気付いたり、幸福になれると考え手に入れても幸福だと感じなかったりする。人間にとっての幸福とはとても曖昧であり、明確な答えを出すことが出来ない。
このように、雲や煙のように掴み取ることの出来ない幸福という問題について、キリストが生まれるずっと前から、様々な哲学者が深い考察をしてきた。一人ひとり考え方が違うことに例外はなく、幸福という一つの問いにも様々な考えが生まれた。しかし、その様々な考え方にも、一つの共通点があることにわたしは気付いた。それは理性の重視である。人が幸せになる為に、理性はどのように関わってくるのだろうか。
理性とは、人間のみに与えられた特別な能力であり、動物と人間を分かつものであると、古代ギリシャ人は考えていた。人間は理性を働かせることによって、様々な自然環境を生き延びることが出来る。生物としては弱い人間が自然環境の中で生き延びる為には、このような能力は不可欠である。又、人間は理性によって他人とスムーズにコミュニケーションを図ることが出来、協力し合って生きていけるのである。中世の哲学においても、人間は理性を与えられているという点で「神の似姿」と呼ばれた。近世の哲学者達も、理性を働かせることが自由で自律的な人間になる為の基本と考えていた。哲学においてこのような地位を持つ理性は、当然、幸福の達成においても重要な役割を果たすと考えられる。
このレポートにおいては、幾人かの哲学者の幸福論を取り上げ、彼らの幸福論に占める理性の役割に注目して論じていきたいと思う。また同時に、幸福と善、快楽との関係にも注意したい。ギリシャを中心に、ストア学派、エピクロス学派、アリストテレスを考察し、最後に近代ドイツのカントの幸福論について考察しようと思う。
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