幸福と理性の関係について

閲覧数2,652
ダウンロード数19
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    設題「幸福と理性の関係について述べよ。」
    幸福とは、一体何か。人それぞれ幸福の基準は違うだろう。だが、大抵の人は自分の欲求が満たされている状態の事をさすのではないだろうか。
    欲求に大きいもの・小さいものがあるように、幸せにも大きいもの・小さいものがあるだろう。そして、どれ程の幸せを手に入れたら満たされるのだろうか。これも、大きいものと、小さいものがありそうだ。人によりけり。人生には沢山の幸せがあり、様々な幸せがある。生まれてきた幸せ、今生きている幸せ、不幸ではないという幸せもあると思う。私の一番の幸せは、人を愛し・愛される事だ。
    幸・不幸は、主観であり客観(主観の偶然の一致)ではないので、幸福感をきちんと持っている人が幸福を感じ、幸せになれる。
    例えば、幸福がずっと続けば幸福感をもてなくなり満足出来なくなる。幸福と不幸が交互にくるので、幸せを「幸せ」と感じるのだろう。
    エピクロス(B,C341~274)とストア派ゼノン(B,C355~263)の幸福論について考えてみたい。
    当時のギリシアは安定しない社会情勢で、さまざまな思想や価値観が入り乱れ、文化的にも混乱していた時代であった。そんな中でエピクロスは、「幸福になるにはどうすればいいか」という問題に、ひとつの明確な指針を打ち出した。それをひとことでいうと「快楽主義(エピキュリアン)」である。
    では、エピクロスは何に最上の快を見出したのか。それは、「身体的な苦痛がない事」、「心が平然である事(アタラクシア)」である。この事で見出される快を「静止した快」、「永続する快」と呼んでいる。つまりエピクロスは、今日のエピキュリアンと呼ばれる享楽主義者ではない。「もし、ある快を味わうことで後に身体に苦痛が生じたり、心の平静さが乱されるのであれば、その快は味わうべきではない。又、逆に一時的な不快や苦痛を伴っても、それが身体の無苦と心の平静さを結果するならば、それを引き受けるべきである。」と説いた。そのためエピクロスは、理性に従い、真の快楽を選ばなくてはいけないと述べている。 エピクロスが求めたのは幸福であり、それは快楽である。肉体的には質素な生活であり、精神的には、精神的平安「アタラクシア」であった。アタラクシアは、ただ“苦痛がない状態”というように考えられてきたが、果たしてそうだろうか。 エピクロスの考えを理解しようとすると、自然に関しての、ひとつの考え方が浮上してくる。それは、人間を含めあらゆる生命は、自然と調和し、自然のままに生活をしているなら、「生きることそのものが喜びになる」というものである。 私達は、幸福は“獲得するもの”だと思い込んでいるので、必要以上に欲望を燃やし、それを得ようとする。ところが、自然は喜びそのものであり、そのままで幸福に満ちているのではないか。エピクロスは、友愛に基づく人間関係こそ、精神に快楽をもたらしてくれる最高のものだと考えたのだ。 つまり、アタラクシアには友愛の喜びが含まれるということになる。 以上の理由から彼が幸福であるとした精神的平安「アタラクシア」とは、ただ苦しみがないという消極的な状態ではなく、自然と調和して生きることから生じる「愛の喜び」だったのではないか。「愛が人生で最高の快楽だ」と説いたのである。肉体的な面に関しては、飢え・病気になることがなければ、それが快楽だとしたのである。社会から隔絶した共同体を作り、精神の平安を求めて生き「隠れて生きよ」とも説いた。
    エピクロスに対して、ストア派ゼノンがめざしたのは、「どうしたら幸福に生きることができるか」ということである

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    設題「幸福と理性の関係について述べよ。」
    幸福とは、一体何か。人それぞれ幸福の基準は違うだろう。だが、大抵の人は自分の欲求が満たされている状態の事をさすのではないだろうか。
    欲求に大きいもの・小さいものがあるように、幸せにも大きいもの・小さいものがあるだろう。そして、どれ程の幸せを手に入れたら満たされるのだろうか。これも、大きいものと、小さいものがありそうだ。人によりけり。人生には沢山の幸せがあり、様々な幸せがある。生まれてきた幸せ、今生きている幸せ、不幸ではないという幸せもあると思う。私の一番の幸せは、人を愛し・愛される事だ。
    幸・不幸は、主観であり客観(主観の偶然の一致)ではないので、幸福感をきちんと持っている人が幸福を感じ、幸せになれる。
    例えば、幸福がずっと続けば幸福感をもてなくなり満足出来なくなる。幸福と不幸が交互にくるので、幸せを「幸せ」と感じるのだろう。
    エピクロス(B,C341~274)とストア派ゼノン(B,C355~263)の幸福論について考えてみたい。
    当時のギリシアは安定しない社会情勢で、さまざまな思想や価値観が入り乱れ、文化的にも混乱していた時代であった。そんな...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。