華人経済の概要~特色と問題点~

閲覧数3,414
ダウンロード数10
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    華人は世界中の国々に居住し、政治、社会、文化・芸術など様々な分野で活躍しているが、経済は特に注目される分野のひとつである。そもそも華人が海外社会へ出かけたのは「出稼ぎ」、すなわち経済活動を目的にしたことであった。しかし現在では、土着民族となって国内の経済を担うだけでなく国外でのネットワーク形成も果たした。ここまで成長するのにはどのような発展を遂げてきたのだろうか。ここでは、東南アジアを中心に華人経済の概要がどのようなものか、その特色は何か、簡単に検討する。なお、海外中国人を華人の用語で統一している。
     海外における華人の経済活動は、十九世紀後半に欧米諸国がアジアや第三世界地域を植民地化し、大規模な一次産品開発を行ったときに、その労働者として大勢の中国人やインド人が海外各地へ出かけたことから始まったものである。当初は、ほぼ全員が単純労働者として働いたが、次第に、小売や貿易や軽工業などのビジネスを始める人々が現れ、資本主義開発課の海外植民地社会は、華人がビジネス・ノウハウを習得する格好の修行場となり、一次産品業、それに関連した貿易、銀行、海運業、さらには食品関連業、新聞出版などの分野で巨大な規模の華人企業が出現した。しかし、これは一方で、近代資本主義経済に参入した「豊かな華人」と、農業など伝統経済にとどまり開発からとり残された「貧しい土着民族」という経済格差と社会亀裂を生み、戦後の独立国家時代に大きな社会問題となった。
     第二次世界大戦後、東南アジア諸国は、相次いで植民地支配からの独立を果たした。民族政府は、貧しい国民に生活の糧を与える、植民地時代の一次産品業に特化した脆い国民経済から脱却するなど様々な理由からではあるが、それぞれ工業化を開始した。東アジア諸国の工業化は、植民地時代に外国から輸入していた工業製品を国内で生産する「輸入代替型」戦略で始まり、一九六〇年代後半になると、一部の国は国内で生産した工業製品を世界市場へと輸出することで成長を図る「輸出指向型」戦略へと転換した。この戦略のもとで、低技術で巨額資本を必要としない軽工業から、次第に高度な産業技術や巨額資本を必要とする重化学工業が奨励されるようになった。
     戦後、東南アジア諸国の華人は現地国籍を取得して「現地化」したが、政治イデオロギー、民族文化、宗教などの違いから、実質的に政治参加を拒否されるか、政治忠誠心を警戒の目で見られた。しかし、経済開発では、土着民族の間で資本主義経済の経験が未熟なことから、民族政府は、植民地時代に資本蓄積を果たし、資本主義の修練を積んだ華人を工業化の担い手とする政策をとらざるを得なかったのである。一九八〇年代になると東南アジア諸国で巨大規模の華人企業が誕生し、華人企業の活動領域は植民地時代に得意とした商業部門から製造業などあらゆる産業部門へと広がった。一部の華人企業は、様々な分野に投資して巨大な企業グループを形成した。華人が工業化を担い企業グループを形成した事情は、香港と台湾でも全く同じである。
     一九七九年の改革開放政策以降、資本主義開発に転換した中国の経済成長は八十年代後半に顕著になる。巨大な人口を擁する中国は、世界経済にとって投資市場としても消費市場としても魅力的存在であった。中国が世界最大の有望市場という経済的要因に加え、華人が民族や言語を共有するという「民族的社会的要因」の優位性もあったために、東南アジアや香港・台湾の華人企業にとっても魅力的な投資先であった。すでに一九八〇年代に東南アジアや香港・台湾の華人企業は世界各地に投資して多国籍企業化していたが

    タグ

    華人経済

    代表キーワード

    華人経済の概要経済

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    華人は世界中の国々に居住し、政治、社会、文化・芸術など様々な分野で活躍しているが、経済は特に注目される分野のひとつである。そもそも華人が海外社会へ出かけたのは「出稼ぎ」、すなわち経済活動を目的にしたことであった。しかし現在では、土着民族となって国内の経済を担うだけでなく国外でのネットワーク形成も果たした。ここまで成長するのにはどのような発展を遂げてきたのだろうか。ここでは、東南アジアを中心に華人経済の概要がどのようなものか、その特色は何か、簡単に検討する。なお、海外中国人を華人の用語で統一している。
     海外における華人の経済活動は、十九世紀後半に欧米諸国がアジアや第三世界地域を植民地化し、大規模な一次産品開発を行ったときに、その労働者として大勢の中国人やインド人が海外各地へ出かけたことから始まったものである。当初は、ほぼ全員が単純労働者として働いたが、次第に、小売や貿易や軽工業などのビジネスを始める人々が現れ、資本主義開発課の海外植民地社会は、華人がビジネス・ノウハウを習得する格好の修行場となり、一次産品業、それに関連した貿易、銀行、海運業、さらには食品関連業、新聞出版などの分野で巨大...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。