2005年11月18日 「教育とジェンダー」
私は教育、とりわけ子供達に家庭内で何気なく行われる躾や、私たちが幾度となく親しんできた童話などから、初等教育を受ける以前の子供達に既に植え付けられてしまう人為的な性差別、ジェンダーの意識はどのようなものか、またどのようにして変革していくべきかを考察していく。
子供が生まれた時から、親の頭の中には「男の子らしく」「女の子らしく」という発想が根強く残っている場合が多々ある。これは子供の産着を選ぶ際に男の子なら青、女の子なら赤などを自然に選んでしまうことからも推測できる。しかし生まれたての乳児に自分の好みの色を尋ねたところで明確な答えが返ってくる可能性は全くないのであるから、親や周りの大人が選ぶ以外に方法は無い。この際肝心なことは、生まれてきた子の性別に関係なく、自分が自分の子に着て欲しいと思う色、この子ならこの色を着て欲しいと思う洋服を選ぶべきだ、ということだ。ある程度大きくなり、子供の好みがはっきりしてからも、男の子は青系統、女の子は赤系統の色を選ばざるをえないような状況は多々ある。私の通っていた保育園では誕生日の日に、子供は洋服の上にリボンをつけることが出来る。リボンは青とピンクの2色であり、各自自由に選ぶことができた。しかしたほぼ9割近くの子が、男の子は青、女の子はピンクを選んでいた。私の友人の男の子のみピンクを選び、大変不思議に思ったことを鮮明に覚えている。しかし本来、選ぶリボンの色は個人の好みのみに基づいているべきであり、不思議に感じた私には、既にその時「男の子なら青、女の子ならピンク」という固定観念ができていたのだ。そして私以外の大多数の子供が同じような選択をしたということから、この固定観念は多くの家庭で、子供達が自分の選択基準を持つ以前から刷り込まれていたということが分かる。
ではそうした幼い時期のジェンダー認識とはどこで作られるのだろうか。実は、子供達に親が繰り返し読み聞かせる童話にも、ジェンダーの影響は潜んでいる。童話は幼い子供のためだけにあるのではなく、小学校低学年までには文字を読むことが出来るようになり、自分達で自発的にそれらを読み始める。この時にも無意識のうちに誤ったジェンダーの認識を刷り込まれていく。以下にいくつかの例を挙げて検証していく。
1赤頭巾 祖母を見舞うように言われた赤頭巾は、母親の寄り道をしないようにという約束を破り、狼と遊ぶ誘惑に負けてしまう。結局狼に食べられる赤頭巾の教訓は、「大人の規範に合わせて行動せよ」「誘惑に負けぬよう官能を抑えよ」であろう。
2シンデレラ 継母や義理の姉のいじめに負けず従順にすごしたシンデレラは、魔法使い
から舞踏会へ行く機会を貰い、美しい故に王子との結婚を果たすことができる。この結末のキーワードは「美しさ」であり、男性側からの評価に基づいたものだ。さらにシンデレラは自ら幸せになるために積極的な行動を起こしたかと問えば、決して起こしたとは言えない。
3白雪姫 この物語では、美しさは男性からの評価を得るだけでなく、女性同士の争いの
原因ともなっている。最終的に白雪姫が勝利する最大の要因は「若さ」である。シンデレラと同様男性側から見た女性の評価基準に基づく勝利の獲得であり、白雪姫自身は何ら積極的な行動は起こしていない。
さらに主人公の性別の差があれど設定があまり変わらない物語として「親指姫」と「一寸法師」を挙げることが出来る。しかし親指姫は回りに促され旅に出て、旅先で様々な困難に出会うも他者の助けを得ながら最
2005年11月18日 「教育とジェンダー」
私は教育、とりわけ子供達に家庭内で何気なく行われる躾や、私たちが幾度となく親しんできた童話などから、初等教育を受ける以前の子供達に既に植え付けられてしまう人為的な性差別、ジェンダーの意識はどのようなものか、またどのようにして変革していくべきかを考察していく。
子供が生まれた時から、親の頭の中には「男の子らしく」「女の子らしく」という発想が根強く残っている場合が多々ある。これは子供の産着を選ぶ際に男の子なら青、女の子なら赤などを自然に選んでしまうことからも推測できる。しかし生まれたての乳児に自分の好みの色を尋ねたところで明確な答えが返ってくる可能性は全くないのであるから、親や周りの大人が選ぶ以外に方法は無い。この際肝心なことは、生まれてきた子の性別に関係なく、自分が自分の子に着て欲しいと思う色、この子ならこの色を着て欲しいと思う洋服を選ぶべきだ、ということだ。ある程度大きくなり、子供の好みがはっきりしてからも、男の子は青系統、女の子は赤系統の色を選ばざるをえないような状況は多々ある。私の通っていた保育園では誕生日の日に、子供は洋服...