「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
マックス・ウェーバー著 大塚久雄訳 2005 岩波書店
1.まえがき
宗教社会学の分野のみにとどまらず、このマックス・ウェーバーの著作は大変有名である。通常であれば、資本主義の発展と宗教の倫理との関係を結びつけることは難しい。だが、マックス・ウェーバーは、その間にある結びつきを論理的に解説することに成功した。私はこの本を通じて、宗教というものの見方が根本的に変わった。日本で宗教といえば、いわゆる宗教団体のことをさす。宗教団体は、政治的、経済的、文化的なものとは全く別個のものとして認識されている。一方、西洋では、宗教は政治や経済などにおいて大きな役割を果たしてきた。この本では、主に宗教、特にプロテスタンティズムの倫理が経済の発展にどのような影響を及ぼしたかについて焦点を当てている。ルッターを皮切りに始まった宗教改革の勢いは、ヨーロッパ全土に広がった。ルッターの説いた教えや、それに続くカルヴァンの教えは、国民にとって、今までの伝統を変えるための心理的な起動力となった。それがどのようにして資本主義の発展に影響を及ぼしていくのか、その過程を見ていく。
2.内容紹介
ルッターの宗教革命は、古いカトリック教会の支配を否定したわけではない。前の教会の支配とは、異なる形に変えただけだった。古い支配に比べ、新しい教会の支配は市民の生活にとって、より厳しいものになった。それにも関わらず、経済的に伸びつつあった中産階級の人たちは、営利の追求に反対するピュウリタニズムの支配を容易に受け入れた。宗教改革後、イギリスやネーデルランド、フランス、アメリカ合衆国などの禁欲的なプロテスタンティズムにおいては、商人たちが不当に大きな利益を獲得することが、倫理的に最大の悪事だと考えられていた。カルヴィニストたちが力を持っていた、フランスのユグノー教会においても、同じように商業的な暴利を獲得することが敵視された。だが、これらの地域で、近代の資本主義が生まれ、発展した。プロテスタントたちは、反営利を主張する一方で、営利活動に参加している。マックス・ウェーバーは、相反する「禁欲的な信仰」と「資本主義的な営利活動」が、対立するものではなく、互いに結びつくものだと考える。事実、牧師の家庭から資本主義的な企業家がしばしば生まれたこともあったし、キリスト教の信仰を代表する人たち(敬虔派)は、商人出身の人たちだった。これは、親の拝金主義に反抗したからではない。一人のプロテスタント、あるいは、プロテスタントの集団の中で、禁欲な信仰と貪欲な営利活動が同時に見られた。フランスのユグノー教会でも、修道士と産業人が数多く見られた。禁欲的な信仰と資本主義的な営利活動を結びつけたのは、一体何か。マックス・ウェーバーは、これを「資本主義の精神」とよんでいる。
「資本主義の精神」を理解するために、ベンジャミン・フランクリンの一節を引用する。マックス・ウェーバーは、フランクリンの説を、「資本主義の精神をほとんど古典的な純粋さで表現している」と評価した。
「時は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出や、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や怠惰のためにたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうはそのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。信用は貨幣だということを忘れてはいけない。だれかが、支払期日が過ぎてからもその貨幣を私の手元に残しておくとすれば、私は
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
マックス・ウェーバー著 大塚久雄訳 2005 岩波書店
1.まえがき
宗教社会学の分野のみにとどまらず、このマックス・ウェーバーの著作は大変有名である。通常であれば、資本主義の発展と宗教の倫理との関係を結びつけることは難しい。だが、マックス・ウェーバーは、その間にある結びつきを論理的に解説することに成功した。私はこの本を通じて、宗教というものの見方が根本的に変わった。日本で宗教といえば、いわゆる宗教団体のことをさす。宗教団体は、政治的、経済的、文化的なものとは全く別個のものとして認識されている。一方、西洋では、宗教は政治や経済などにおいて大きな役割を果たしてきた。この本では、主に宗教、特にプロテスタンティズムの倫理が経済の発展にどのような影響を及ぼしたかについて焦点を当てている。ルッターを皮切りに始まった宗教改革の勢いは、ヨーロッパ全土に広がった。ルッターの説いた教えや、それに続くカルヴァンの教えは、国民にとって、今までの伝統を変えるための心理的な起動力となった。それがどのようにして資本主義の発展に影響を及ぼしていくのか、その過程を...