資料:5件
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EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。
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「EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。 最も基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。」
EU統合は、はたして我々に何を問い掛けているのか。 本稿では、EU成立までの過程をふまえ、EU域外にもたらし得る幸福ついても触れながらEU統合の基底になっているものを明らかにし、又、その統合の副次的な目的を概観した上で、その実践過程において域内に生じている現実的問題について述べてみたい。
【EU統合の源流】
先ずはEU統合について、その統合の基底となっている、抽象的かつ根源的な要素について述べたい。 EU統合とは、根本的には何であろうか。 何が目的であったのだろうか。 試しに、さほど本テーマに明るくないと思われる家族や友人達に尋ねてみた。
「EU統合って、そもそも何だと思う?」
「EU統合って、そもそも何のために始まったのだと思う? その根本的な目的や理由をどう考えるかな?」
返答は、異口同音であった。 皆が口を揃えて「EUといえば、(通貨)ユーロかな。経済的な統一を目指したものでしょう。」と答えた。 これがごく一般的な感覚かも知れない。特に、我々日本人は島国にいて地面のつながった国境を持たない境遇におかれ、他国から本土に対して攻撃を受けたことも、有史以来二度を数えるくらいである(元寇襲来とアメリカの空爆)。 ちょっと歩いて国境を越えれば、そこには、まったく違う言葉を話し、考え方も異なり、そもそも体制を異にした利害関係のあるよその国があり、そんな他国が四方八方に地続きで存在している世界など、島国に育まれた我々には想像も及ばないであろう。EU統合の原点を探るには、ヨーロッパが有史以来たどってきた歴史をひとつひとつ紐解いていかなければ、その本意は分からない。そして一つのターニングポイントとなったマーストリヒト条約にその核心を求めなければならない。 かつての敵国であるといった意識を切り捨て、あたらしくヨーロッパを作り直すために皆同胞となるのだという姿勢。 マーストリヒト条約からさかのぼって1980年代、EUの前身たるECによる社会政策の実施は、共通労働市場の形成に功があったという経済的側面のみならず、「ヨーロッパ市民のアイデンティティの確立」という発想の萌芽をすでに含んでいた。 その芽が育まれていった結果として、ヨーロッパ市民の宿願であった「ヨーロッパ市民権」が成立することになるのである。
EU統合のもっとも基本的で重要な目的とは、煎じ詰めれば「戦争の無い世界」の実現である。お互いに隣り合うもの同士で干戈を交えない共同体としての安全保障体制の確立である。最も大衆の目に触れられがちな雑誌・週刊誌の類を見てみるとEU統合の経済的な側面ばかりがクローズアップされている感が否めないが、これまでヨーロッパがたどって来た戦渦の系譜に思いを馳せてみるならば、この統合が平和への希求、あるいは共栄・共存への飽くなき渇望をその源としていることを見逃す事は出来ないのである。
次に、EU統合の目的のなかでも副次的なものを二点、具体的に挙げてみたい。 EU統合の“大義”は、不戦共同体の実現であったことは既に述べたところであるが、一方で、ヨーロッパの政治的・経済的地位の向上は、EU統合の“副産物”であると同時に、今日においては主要な目的となっているのは周知の事実である。
【欧州=超国家的スーパーパワーの確立】
まず一点目として挙げられるのは、政治統合や共通安全保障体制の確立によって、国際舞台におけるヨーロッパ全体の発言力を
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EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか
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まず、EUの基本的目的とは大きく三点がある。
最も重要な目的は、不戦共同体としてヨーロッパに平和を実現することである。第二の目的は、政治統合や共通安全保障体制の確立により、ヨーロッパ全体の国際的発言力を強化することである。第三の目的は、ヨーロッパの相対的地盤沈下を食い止め、活力あるヨーロッパを実現しようとする、経済的動機である。
●不戦共同体を目指した
不戦共同体としてのEC設立までの流れをまとめる。二度の世界大戦で疲弊・荒廃したヨーロッパは、一国も早い復興と、戦争を再びする様な国・政治体制を作らないことが最重要・緊急の課題となった。ヨーロッパ統合の道への要因は、内的要因と外的要因のふたつが存在する。
前者の内的要因は、戦争が各国の主権争いの軋轢から生じたものであった。戦争を二度と起こさないために、三十年戦争の時代にさかのぼる、旧来から対立関係にあったドイツとフランスを含む欧州諸国が主権を譲り合うことを目標とした。
外的要因としては、旧ソビエト連邦の軍事力を中心とした脅威や、イギリスの「鉄のカーテン」宣言、米国からのマーシャル・プランを推進するにあたっての要請などが挙げられる。そして、ドイツの豊富な資源と工業力の復興に注目した政治的勢力により、石炭と鉄鋼生産の共同管理をするためにECSCが設立された。
その後、経済的統合を目的としたEEC、原子力の平和利用に関してEURATOMが発足し、前述のECを含んだ三つが統合して、1967年ECが発足した。これに対して、旧ソビエト連邦を中心とする東ヨーロッパ諸国では1949年にCOMECON、1955年にワルシャワ条約機構が締結され、独自の流れを見せた。しかし、西ヨーロッパの経済発展に及ぶことはなく、1989年ベルリンの壁が崩れ、東西の分断は終わった。
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「EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。もっとも基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。」(A判定)
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「EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。もっとも基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。」
20世紀前半に二度も世界大戦の戦場となったヨーロッパは、第二次世界大戦が終結した1945年の時点で、すでに世界政治の主体ではなくなっていた。西ヨーロッパ諸国は勝者、敗者関係なく経済的に困難な状況に陥り、戦後復興のためにはアメリカの援助に頼らざるをえない被援助国となっていた。さらにソ連が東ヨーロッパと南ヨーロッパで社会主義化を推し進めた結果、ヨーロッパを舞台とした東西対立が顕在化することとなった。そのような状況の中、アメリカのマーシャル国務長官は1947年に行った演説の中でヨーロッパ復興のための援助計画「マーシャル・プラン」を発表した。これは社会主義国の西ヨーロッパ進出を阻止するための手段としての復興計画であった。一方、イギリスではチャーチルが1946年にスイスのチューリヒ大学で演説を行い、ヨーロッパが再び栄光を取り戻し、人々が平和で幸福な生活を送れるようにするためには、フランスとドイツの和解を通じてヨーロッパ各国が団結し、「ある種のヨーロッパ合衆国」の建設が必要であると訴えた。1950年には、普仏戦争以後フランスと西ドイツとの間で長く続いていた石炭と鉄鋼をめぐる紛争を解決するためにフランスのシューマン外相が「シューマン・プラン」を打ち出した。これは両国にまたがる全ての石炭・鉄鋼産業を、国家を超えた共同管理機関にゆだね、
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