第 3 回 Max W eber (マックス・ウェーバー) (1864-1920 )
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1905 年
梶山力訳 1938 年、大塚久雄訳 1988 年
「社会科学の名著を読むⅠ」三重大学人文学部 2003 年度特殊講義B 櫻谷勝美
マックス・ウェーバー:、法制史家、経済史家、経済学者、社会学者、哲学者。
近代の政治、経済、法、倫理、芸術、社会生活、宗教等のあらゆる文化領域を貫く原理を探そうとした。
→西欧文明は世界史上唯一無二の独自性を持つ合理主義=古代・中世の西洋や東洋とは異なる点
→それを実現したのは職業人の倫理(Berufsmensch)
→職業人の倫理は宗教=プロテスタンティズムのエトス〈世俗内禁欲 innerweltliche Askese〉に由来→プロテスタンテ
ィズムは合理的経済行動の推進力である
ウェーバーの近代市民社会論は日本の戦後改革を思想的にリードした東京大学の三教授=政治学の丸山真男、法
社会学の川島武宜、経済史の大塚久雄に対して大きな影響を与え、その影響は彼らの門下生を通じて社会科学学界
に波及的に広がった。
<目次>
第1章 問題
一 信仰と社会層分化
二 資本主義の「精神」
三 ルッター天職概念-研究課題
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
一 世俗内的禁欲の宗教的基盤
二 禁欲と資本主義精神
第1章 問題
一 信仰と社会的文化
1 <信仰と職業>ドイツの住民達の間で、カトリックとプロテスタントの信仰の違いと職業の違いに相関関係があ
る。前者は親方職人をめざし、教育は教養課程中心の高等学校が多く、後者は近代的工場の熟練労働者上
層や工業経営の幹部をめざし、教育は実業高等学校など近代的な技術修得や商工業を職業とするための
準備教育を選択する。(8-12)
2 <生活態度>民族的・政治的少数者は政治的に有力になれないので、営利事業に向かうことが通例である
が、カトリック教徒はドイツでもオランダ、イギリスでも顕著な経済発展を遂げるのを見たことがない。経済的合
理主義とは縁がない。それに対してプロテスタントは支配的社会層であっても、なかっても経済的合理主義的
な生活態度である。生活態度の相違は、主として内面的信仰の特質にもとめられるべきで、外面的な歴史的
政治的状況だけに求めることはできない。(14)
3 <違いについての表面的な見方>カトリック、プロテスタントともカトリックは比較的「非現世的」、禁欲的と見
て、その上でプロテスタントはカトリックの禁欲的理想を批判し、カトリックはプロテスタントの「唯物主義」を批
判する。(16)
4 <実際は>イギリス、オランダ、アメリカのピュウリタンたちは、禁欲的な生活をしていた。フランスのカルヴァン
派は真面目で宗教的に謹厳であり、しかもフランス工業の資本主義的発展の重要な担い手であった。フラン
スのカトリック教徒の上層は宗教を敵視し、下層は非常に享楽的であった。(17)
5 <信仰と営利生活>禁欲的で信仰に熱心であることと、資本主義的営利事業に携わることは対立しないし、
むしろ内面的に親和関係にあると考えるべき。(18)
1
二 資本主義の「精神」
6 <ベンジャミン・フランクリンの言葉>
「● 時間は貨幣だということを忘れてはならない。一日の労働で 10 シリング儲けられるのに、外出したり、室内で
怠けて半日を過ごすとすれば、娯楽のためにたとえ6 ペンスしか支払っていないとして
第 3 回 Max W eber (マックス・ウェーバー) (1864-1920 )
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1905 年
梶山力訳 1938 年、大塚久雄訳 1988 年
「社会科学の名著を読むⅠ」三重大学人文学部 2003 年度特殊講義B 櫻谷勝美
マックス・ウェーバー:、法制史家、経済史家、経済学者、社会学者、哲学者。
近代の政治、経済、法、倫理、芸術、社会生活、宗教等のあらゆる文化領域を貫く原理を探そうとした。
→西欧文明は世界史上唯一無二の独自性を持つ合理主義=古代・中世の西洋や東洋とは異なる点
→それを実現したのは職業人の倫理(Berufsmensch)
→職業人の倫理は宗教=プロテスタンティズムのエトス〈世俗内禁欲 innerweltliche Askese〉に由来→プロテスタンテ
ィズムは合理的経済行動の推進力である
ウェーバーの近代市民社会論は日本の戦後改革を思想的にリードした東京大学の三教授=政治学の丸山真男、法
社会学の川島武宜、経済史の大塚久雄に対して大きな影響を与え、その影響は彼らの門下生を通じて社会科学学界
に波及的に広がった。
<目次>
第1章 問題
一 信仰と社会層分化
二 資本主義の「精神」
三 ルッター天職概念-研究課題
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
一 世俗内的禁欲の宗教的基盤
二 禁欲と資本主義精神
第1章 問題
一 信仰と社会的文化
1 <信仰と職業>ドイツの住民達の間で、カトリックとプロテスタントの信仰の違いと職業の違いに相関関係があ
る。前者は親方職人をめざし、教育は教養課程中心の高等学校が多く、後者は近代的工場の熟練労働者上
層や工業経営の幹部をめざし、教育は実業高等学校など近代的な技術修得や商工業を職業とするための
準備教育を選択する。(8-12)
2 <生活態度>民族的・政治的少数者は政治的に有力になれないので、営利事業に向かうことが通例である
が、カトリック教徒はドイツでもオランダ、イギリスでも顕著な経済発展を遂げるのを見たことがない。経済的合
理主義とは縁がない。それに対してプロテスタントは支配的社会層であっても、なかっても経済的合理主義的
な生活態度である。生活態度の相違は、主として内面的信仰の特質にもとめられるべきで、外面的な歴史的
政治的状況だけに求めることはできない。(14)
3 <違いについての表面的な見方>カトリック、プロテスタントともカトリックは比較的「非現世的」、禁欲的と見
て、その上でプロテスタントはカトリックの禁欲的理想を批判し、カトリックはプロテスタントの「唯物主義」を批
判する。(16)
4 <実際は>イギリス、オランダ、アメリカのピュウリタンたちは、禁欲的な生活をしていた。フランスのカルヴァン
派は真面目で宗教的に謹厳であり、しかもフランス工業の資本主義的発展の重要な担い手であった。フラン
スのカトリック教徒の上層は宗教を敵視し、下層は非常に享楽的であった。(17)
5 <信仰と営利生活>禁欲的で信仰に熱心であることと、資本主義的営利事業に携わることは対立しないし、
むしろ内面的に親和関係にあると考えるべき。(18)
1
二 資本主義の「精神」
6 <ベンジャミン・フランクリンの言葉>
「● 時間は貨幣だということを忘れてはならない。一日の労働で 10 シリング儲けられるのに、外出したり、室内で
怠けて半日を過ごすとすれば、娯楽のためにたとえ6 ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだ
けではいけない。ほんとうは、そのほかに5 シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。
● 信用は貨幣だということを忘れてはいけない。
● 貨幣は繁殖し子供を生むものだということを忘れてはならない。
● 支払いのよい者は他人の財布にも力をもつことができる-そういう諺があることを忘れてはならない。約束の期
限にちゃんと支払うのが評判になっている者は、友人がさしあたって必要としていない貨幣を何時でもみんな借り
ることができる。
● 勤勉、質素、すべての取引で時間を守り法に違わぬことほど、青年が世の中で成功するために役立つものは
ない。
● 朝の 5 時か夜の 8 時に君の槌の音が債権者の耳の聞こえるようなら、彼はあと6ヶ月延ばしてくれるだろう。し
かし、働いていなければならない時刻に、君を玉突き場で見かけたり、料理屋で君の声が聞こえたりすれば、
翌日には返却してくれと、準備もととのわぬうちに全額を請求してくるだろう。
● 自分の手元にある財産がみな自分の財産と考え、そんなやりかたで生活しないよう気をつけなさい。信用を
得ている人々がこの間違いをやる。そうならぬうように、長きにわたって支出も収入も正確に記帳しておくのが
よい。
● 君の思慮深さと正直が人々に知られているとすれば、年々6ポンドの貨幣を100ポンドにも働かせることがで
きるのだ。5シリングを失えば、その5シリングだけではなく、取引にまわして設けることができたはずのその金
額も全部失ってしまったことになる。-そうした額は、青年が年配となるまでには、相当大きいものになるだろ
う。」(27-29)
7 <フランクリンの言葉に対するウェーバーの意味づけ>
フランクリンの思想は、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想。
単に処世の技術ではなく、倫理である。これに違反することは愚鈍というだけでなく、義務忘却である。ここに一つ
のエトスが表明されている。倫理的は色彩をもつ生活原則である。これが「資本主義の精神」である。
フランクリンは「神は自分に善をさせようとしておられるのだ」と考えていた。善とは一切の享楽を厳しく斥けて、ひ
たむきに貨幣を獲得すること。(29-32)
8 <このようなエトスは西欧とアメリカだけ>
「資本主義」は中国にも、インドにも、バビロンにも、また古代にも中世にも存在した。しかしそこには独自のエトス
が欠けていた(30p)。貪欲、金銭欲は人類の歴史とともに古い。中国の官僚、古代ローマの貴族、ナポリの馬車
屋や船乗り、南ヨーロッパやアジアの職人の貪欲、金銭欲は市民的資本主義経済成立には、内面的障害となっ
た。(37)
9 <儲けること>貨幣の獲得は合法的に行われる限り、職業(仕事)の有能さの現れであり、この有能さを磨くこ
とこそ道徳のすべて=職業上の義務なのである。(33) プロテスタント・カルヴァン派、植民地期ニューイングラン
ドの牧師、知識人、小市民、職人、自営農民が典型(36)
資本主義以前の社会では、利潤追求の厚かましさが、儲けることを卑しむ厳格な拘束と併存しており、利潤追求
に対する倫理的肯定はなされず、やむを得ないことと事実上寛大に扱われていたのに過ぎなかった。(38)
10 <唯物論批判>
資本主義的経済状況が、フランクリンのような思想(上部構造)を生んだのではなく、資本主義に先立って資本主
義の特性に適合した生活態度や職業観念(上部構造)が成立していた。(35p)
11 <労働者と「資本主義の精神」>
勤務時間中にできるだけ楽に、できるだけ働かないで、しかも普段と同じ賃金がとれるかを考えるのではなく、労
2
働が自己目的であるかのように励む精神が、職業義務の考えである。高賃金or低賃金で操作できるものではなく、
長年の教育の結果である。プロテスタントの地方、特に敬虔派の信仰を持つ地方で育てられた少女は、経済教育
が効果を上げる可能性が格段に大きい。(47p) 18世紀イギリスのプロテスタント・メソジスト派の労働者は、勤勉
であったため仲間の労働者から迫害を受けた。労働者が労働を自己目的=天職と考えるには宗教教育がもっと
も効果的だった。(48)
三 ルッターの天職(Beruf)概念-研究の課題
12 <Berufの意味>ドイツ語のBeruf 英語の calling は、神から与えられた天職という意味。
Berufという言葉は、プロテスタントの優勢な民族には存在する。ルッターの聖書翻訳の結果である。(68)
プロテスタントは、職業義務の遂行を、道徳的実践の最高内容と最重要視した。どんな場合も世俗義務の遂行こ
そ神が喜ばれる唯一のこと。許容されている職業は神の前では全く同一の価値を持つ(78-79)
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
一 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
13 <カルヴィニズム>カルヴィニズムは、個人を現世に張りめぐらされた堅い束縛から解きはなち、内面的に孤
立化させた。カルヴァンは、神がキリスト教徒に欲するのは彼らの社会的仕事である。社会的秩序は驚くほど
合目的的で、人類の実益に役立つようにできあがっている。だから、社会的実益に役立つ労働こそが神の栄
光を増す、キリスト教徒の生き方である(121、134)。 自己確信を獲得するもっとも優れた方法は、絶え間なく
職業労働に勤しむことであり、職業労働により、宗教上救われているという確信が与えられる。(130)
14 <日々の禁欲>中世の禁欲は修道士に限られ、一般のキリスト教徒に要求されるものは教会からの要求だ
けだったが、カルヴィニズムの禁欲は、毎日の世俗的職業生活において信仰を確証することであった。(151)
不断の自己審査や自己の生活規制が必要となった。(159) 同時にカルヴァン派は私経済的営利のエネル
ギーを解放した。(206) ピュー...