☆第一次世界大戦にいたる国際関係の推移について考察せよ。
普仏戦争後の1873年、ビスマルクはフランスとロシアの接近を妨げる目的で、ドイツ・ロシア・オーストリアからなる三帝同盟を作り上げた。1877年の露土戦争の後、ビスマルクの調停でひらかれたベルリン会議でロシアの南下が阻止されると、ロシアとドイツの関係は悪化したが、ビスマルクは露仏間の提携防止を重視して、1877年ロシアと独露再保障条約を結んだ。しかし1890年にビスマルクが引退すると、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はこの条約の延長を拒否し、これをきっかけにロシアとフランスが接近し露仏同盟が結成された。
B5・400字換算で約7~8ページ
第一次世界大戦にいたる国際関係の推移について考察せよ。
■三国同盟と三国協商の成立
普仏戦争後の1873年、ビスマルクはフランスとロシアの接近を妨げる目的で、ドイツ・ロシア・オーストリアからなる三帝同盟を作り上げた。1877年の露土戦争の後、ビスマルクの調停でひらかれたベルリン会議でロシアの南下が阻止されると、ロシアとドイツの関係は悪化したが、ビスマルクは露仏間の提携防止を重視して、1877年ロシアと独露再保障条約を結んだ。しかし1890年にビスマルクが引退すると、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はこの条約の延長を拒否し、これをきっかけにロシアとフランスが接近し露仏同盟が結成された。
すでに1882年には、北アフリカでフランスと対立を深めていたイタリアがオーストリアに接近し、ビスマルクの下でフランスを孤立化させる外交政策を採っていたドイツとともに三国同盟が結成されており、露仏同盟はこの三国同盟を対抗する形となった。
一方、”光栄ある孤立”を掲げてた国家と同盟関係を結ばずにいたイギリスは、義和団事変以来満州から撤兵しないロシアを牽制したいと考えていた。遠く離れた中国で利権の維持に当たるの...