ルソーの教育思想について述べよ。
⇒1712年、スイスのジュネーブで生まれる。父親は時計職人であったが、無責任な親であり母親が亡くなると幼いルソーを見捨てて逃げた人である。その後、牧師宅で育てられるが、厳格なその牧師と肌が合わず、牧師宅を飛び出し、寂しい幼年期を過ごす。後に彫刻屋の弟子となり、16歳の時にジュネーブを飛び出す。
1728年、ジュネーブを脱出し、協会の紹介でフランソワ婦人の保護を受け、初めて人間的な優しさにふれたとされている。この頃から独学でさまざまな勉強を始める。
1741年、パリに出る。音楽で身を立てようとするが、上手くいかなかった。無名時代のディドロ、コンディヤックとの交際が始まる。この時期のルソーは下宿先のお手伝いの女性、テレーズと事実婚を行う。しかし、自分が父親になる自信が泣く、5人の子どもをもうけるが孤児院に出してしまう。このようなエピソードから、ルソーは矛盾の人と言われるようになる。
ルソーは現代でも教育学の名著として読み継がれる『エミール』を書いた人であり、教育思想家として歴史に名を残す偉人であるが、父親としては無責任な経歴を持っていることも事実で...