連関資料 :: 教育原論 設題2

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  • 教育原論設題
  • 「ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。」  ロックの教育論は、一般的に紳士教育論と言われている。ロックの紳士教育とは、健全な身体と道徳と知識を持っているべきである。健全な身体における健全な精神とは、言葉では簡単であるが、人生の幸福を言い尽くしている。  幼児期の子どもを教育する時に、可愛がるのではなく、理性的に適した事柄にしか同意しないように、精神を正しくすることが重要である。精神を鍛錬することによって、子どもは自分の欲望をがまんし、欲望がいろんな方向に動いても、理性が最善として示すものに純粋に従うことができるようになる。したがって、両親は子どもが非常に小さい時から、両親の意志に従うように教育すべきである。このようにロックは子どもを厳しく教育するよう唱えるのだが、しかしその方法は単に強制的であってはならないと考えている。もし両親が子どもにある行為をするよう促したいなら、単に威圧的に命令するのではなく、子どもが自発的に善い行為を行うように習慣づけられるべきである。「子供たちの習慣になるまで、同じ行為を反復させると、それをすることが、記憶、または子供時代にはなくて、子供たちに自然なものになる」。また、両親は規則を作るのは少しだけにし、一度作った規則は必ず守られるように気をつけるべきである。「子供たちに是非せねばならぬと考えられることは、機会あるごとに欠くことのできぬ練習によって、(規則を)子供たちの身につけさせる。こうすれば、子供たちに習慣をつけさせ、習慣は一度できると、記憶の助けがなくとも、独りでに、容易に、自然に作用するものである」。このように、ロックは、習慣形成の重要性を説いている。  知性の正しい導き方(ジョン・ロック:下川潔訳)の「第四節 練習と習慣」にも同じようなことが述べられている。―私たちは、ほとんど何でもできるぐらいの能力や力をもって生まれてきます。少なくとも、想像できないようなことを成し遂げてしまう程度の力をもっています。何事においても私たちが力量と技術を獲得し完成へと向かうのは、これらの行使によってでしかありません。同じように均整のとれた体をもち、同じようにしなやかな関節をもち、少しも劣ることのない生来の才能をもっているとしても、紳士の身のこなしや言葉使いを中年の農夫に学ばせるのはまず無理でしょう。ダンス教師の脚や音楽家の指は、自然に、思考せず苦労せずして、規則的な賞賛すべき運動へと、言わば落下してゆきます。彼らに役割を交換するように命じたら、命じたら、努力しても、慣れない手足に同じような運動を生み出すことはできませんし、同じような技能を少しばかり身につけるのにも、長い時間と長い練習が必要になります。網渡り師や曲芸師は、どうやって自分の体で、あのように信じがたい、目をみはるような動作をするのでしょうか。このようなすばらしい運動は、見物人たちと特別違ってもいない身体をもった人間が、ただ慣れと勤勉によって生み出した結果にほかありません。身体と同じことが、心についてもいえます。心の現在のありようは、訓練によって決まります。自然の恵みと見なされる卓越した資質ですら、もっと詳しく調べてみれば、その大部分が訓練の産物であり、動作の繰り返しによってそのような高みに達することになったことがわかります。確かに、初めに運よくヒットし、褒められたことが励みとなって何度も試みるようになり、自分の思考と努力をその方向へと向け、とうとう、いつのまにか、やり方を意識せずにやすやすとやってのけるようになる、ということが実際
  • 佛教大学 レポート 教育原論 ジョン・ロック
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  • 教育原論(第設題
  • 「ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ」  ジョン・ロックの教育法は、紳士を育てることにあるという。ロックは、「人間の精神は、その誕生時、あらゆる種類の印刻を受け容れる事ができ、生まれながらには、何の観念も原理も持たない」という、自らが提唱するところである、タブラ・ラサ(精神白紙)説に基づいて、人は外部から観念を詰め込む事によって、いくらでも恣意的に人間を形成する事ができ、また、子供はそれを受け入れる自発性と可能性を持っている存在であると主張した。では、どのようにして人の心は観念を備え得るようになるのか、どこから人の心は理知的推理と知識のすべての材料を我がも
  • 教育原論 佛教大学 通信教育 ジョン・ロック
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  • 教育原論設題
  • 『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。』 ロックは、タブラ・ラサ(精神白紙説)を唱えた。これは、心の中には、生まれながらに刻み付けられた概念や理念などはないという考えのことである。この考えに従えば、子どもは、生まれたときは、まだ何の観念も持ってないということになる。では、心はどのようにして観念を備えるようになるのか、どこから理知的推理と知識のすべての材料をわがものにするのか。これに対して、ロックは経験からであるとしている。この経験に私たちのいっさいの知識は根底を持ち、この経験からいっさいの知識は、究極的に由来すると述べている。 子どもは成長するにつれて、教育によってさまざまな観念を獲得するようになるのであり、これは経験主義的な考えと言うことができる。子どもは、将来の知識の材料になるような観念を徐々に備えるようになるのである。  ロックは、子どもの教育は、まず感覚的訓練から始めるように主張する。感覚によって一つ一つの対象についてわれわれの心の中に観念が起こり、様々な知識が得られる。例えば、どんな色であるか、暑いか、寒いか、どんな味か、臭いか、形である
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