報道被害とマスコミ
はじめに
私たちの現在の日常生活において、報道というものが極めて身近な存在であり、大きな影響力を有するに至っていることは否定できないだろう。報道されるものは、政治や選挙、事件物、そして芸能ネタなど、一般市民の関心を引きつける話題である。
しかし現在その報道倫理が低下している。事件が起きればマスコミは現場に押しかけ、地域は大量の取材陣で埋め尽くされる。被疑者は私生活や経歴を暴かれた上、無罪有罪に関わらず世間から激しい攻撃を受ける。インターホンと電話が鳴り止まず、悲しみの渦中にいる被害者の家族にでさえも容赦のない質問が浴びせられる。さらに、インターネットがこうした報道被害を増幅している。新聞などの報道が、検索エンジンでいつでも容易に検索でき、それが誤報であっても訂正されないままいつまでも残る。少年法で守られるべき少年の実名や顔写真、プライバシーもインターネットで流されている。
また、この報道被害を表向きの理由としたメディアの法規制が進んでいる。「報道の自由」「表現の自由」に権力の介入が懸念されているのだ。マスコミは自ら報道を改善し、権力の介入を防がなければならない。
このような報道の現状に疑問を抱くとともに、その原因を分析し、現在の報道を見つめなおしたいと考える。
Ⅰ市民が受けた報道被害
1被疑者が受けた報道被害
例えば殺人事件があれば怪しい人間をあたかも犯罪者のように祭り上げる。テレビと新聞を介してあることないことが確定した事実として大きく報道される。警察の捜査が及んだ時点でマスコミの犯人視報道で瞬く間に犯人にしたてあげられてしまうのだ。松本サリン事件における河野義行さんはそうした報道被害を受けた一人であった。
1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街で起こった、テロ事件である。住宅街に化学兵器として使用される猛毒のサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した。
事件の翌日、6月28日に河野さん宅に長野県警が容疑者不詳の殺人容疑で家宅捜査した。それからマスコミは騒ぎたち、大見出しをだして河野を犯人に仕立て上げた。
「調合「間違えた」救急隊に話す/以前から薬品に興味」(毎日)
「住宅の庭で薬物実験?/「あの家が―」周辺住民あ然/原因わかり安ど」(読売)
ここで書かれている薬物というのは家宅捜査の際に押収されたもので、写真収集に使おうと思っていたものだった。当然この薬物はサリン※1とは一切関係ないもので、そこからサリンを製造するなどできない代物であった。中でも特に悪質だったのが週刊新潮で、『毒ガス事件発生源の怪奇家系図』という見出しの記事で河野家の家系図を掲載してプライバシーを侵害した。家系図が事件に関与しているとはとても考えられない。地下鉄サリン事件後も河野氏は週刊新潮のみ刑事告訴を検討していたが、謝罪文掲載の約束により取り下げた。しかし河野氏との約束は守られなかった。現在も河野氏は、「週刊新潮だけは最後まで謝罪すらしなかった」と語っている。
河野さん一家は5人家族のうち、河野さんも含めて4人が入院する被害を受けた。長男は共犯では、とも疑われた。何か月間も無言電話や脅迫状が続き、サリンの不眠と真夜中の電話に苦しめられた。
河野義行さんは著書でこのように語っている。
「事件発生からわずか二十三時間で警察が犯人のレッテルを作り、マスコミが二日でそれを貼ってしまった。世の中スピード時代と言われるが、あまりに早過ぎはしないだろうか。それに引き換え、潔白の証明が如何に困難で、時間がかかる
報道被害とマスコミ
はじめに
私たちの現在の日常生活において、報道というものが極めて身近な存在であり、大きな影響力を有するに至っていることは否定できないだろう。報道されるものは、政治や選挙、事件物、そして芸能ネタなど、一般市民の関心を引きつける話題である。
しかし現在その報道倫理が低下している。事件が起きればマスコミは現場に押しかけ、地域は大量の取材陣で埋め尽くされる。被疑者は私生活や経歴を暴かれた上、無罪有罪に関わらず世間から激しい攻撃を受ける。インターホンと電話が鳴り止まず、悲しみの渦中にいる被害者の家族にでさえも容赦のない質問が浴びせられる。さらに、インターネットがこうした報道被害を増幅している。新聞などの報道が、検索エンジンでいつでも容易に検索でき、それが誤報であっても訂正されないままいつまでも残る。少年法で守られるべき少年の実名や顔写真、プライバシーもインターネットで流されている。
また、この報道被害を表向きの理由としたメディアの法規制が進んでいる。「報道の自由」「表現の自由」に権力の介入が懸念されているのだ。マスコミは自ら報道を改善し、権力の介入を防がなければならない。
こ...