私にとって「私」とは
「私」とはなんなのか?
私は何度かこのテーマを考えたことがある。普段の繰り返しの生活や些細なことで落ち込んだとき、私の存在を考え、自問自答する。そこには「問う私」と「問われる私」が存在する。「問う私」は「問われる私」に対し、質問を繰り返す。一方で「問われる私」は懸命にこの問題に対し答えを見つけ出そうと考える。この中には「問う私」と「問われる私」の二つの関係で成り立っている。「問われる私」とは「私」そのものである。社会学の研究者であるG.H.ミードはこれを主我といった。これに対して「問う私」とは、自己の中に取り入れられた、他者の視点からの「私」であり、これを客我といった。「私」という一つの肉体の中主我と客我という二つの意識生まれ対立しているのだ。
そして日々の生活の中で自分の考えていることが自分の感じていることとずれていると感じることがある。「やらなければならない」と頭では考えていても、「やりたくない。遊んでいたい」と思ってしまったり、「他人に気を遣わなければ」と考える一方で「面倒くさい。どうでもいい」と心のどこかで思ってしまっている「私」がいる。そんな時、自分の心...