連関資料 :: 道徳の指導法 第1分冊

資料:8件

  • 道徳指導 分冊
  • (1)1872年の学制発布により、わが国最初の近代的学校制度が成立した。この学制に「修身」という教科が挙げられた。ここでは教師が口で教説するが、欧米書物を翻訳した教科書による修身科は普及せず、和書や和書風に書き直された漢書、教訓型往来物の流れをくむ道徳書がよく使用されていたと言われる。  明治10年代に入ると、啓蒙主義の道徳感や道徳教育に対する批判が起こり、文明開化と儒教道徳が議論されたが、両者ともに教育によって富国強兵をめざす点では一致していた。  1880年になると政府は、前年に発布した「教育令」を改正し、教育に対する政府の干渉を強化して統一的な国民教育の普及を図るとともに、自由民権運動に対抗しようとした。この「改正教育令」では、修身科を教科の筆頭におき、この位置づけは1945年の終戦による修身科廃止まで堅持された。  そして1980年には「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)が発布され、天皇制国家のシンボルとして掲げられ、それは同年に改正された「小学校令」にも反映され、特に修身科においては色濃く影響を受けるとともに、学校現場での定着が早くから図られた。  1900年をはさみ、ヘルバルト..
  • 玉川 通信 レポート 玉川大学 道徳の指導法 第1分冊
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  • 2008年度,道徳指導分冊
  • (1)修身とは、礼儀、公衆道徳,孝行、及び忠君愛国などを教える教科であり、1872年(明治5年)に「学制」発布により生まれた科目である。小学教則では、下等小学の第8級から第5級にかぎり、修身口授の時間を週1ないし週2に設定した。しかし、道徳教育のあり方をめぐる対立などから、「学制」は廃止され、1879年に教育令が制定された。修身はこの教育令において、明確な教科として位置づけられたと見ることができる。さらに翌年の改正教育令では、修身は筆頭教科に躍進した。修身が筆頭教科になったことにより、その方針は終戦直後まで続くこととなる。1881年に制定された小学校教則綱領では、初等科、中等科で週6時間、高等科で週3時間が修身に配当された。また、それまでの修身で使用されていた教科書は、欧米の倫理を紹介した啓蒙書などであったが、しだいに翻訳教科書は廃止されていった。  1890年、井上毅らにより、「教育勅語」が発布された。教育勅語の内容は、三段にわけられ、第1段では、「教育ノ淵源」が「国体ノ精華」にあると述べており、第2段では、「知能ヲ啓発シ徳器ヲ成就」するための私的道徳を列挙し、公的道徳を列記してい
  • 玉川大学 玉川学園 通信教育学部 道徳の指導法
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  • 道徳指導 分冊 評価A
  • 課題:戦後の道徳教育 (1) 第二次大戦後の道徳教育の変遷について説明しなさい。 (2) (1)の変遷から、あなたが強く感じたことを述べなさい。 *(2)は大きく書きかえた方がいいかもしれないです。視点が独自ということからA評価を頂きました。 学校側のチェックもあるので、参考程度にしてください。
  • 玉川 道徳 第1分冊 道徳の指導法
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