連関資料 :: 道徳教育

資料:600件

  • レポート 道徳教育の研究
  • 私の身近で気になる環境問題 私の気になる環境問題は、ゴミの増加に対する処理です。 私は愛知県の名古屋市の隣の郡部に住んでおります。ここ10年間にゴミの増加が叫ばれ、次第にゴミに関する法律(家電リサイクル法や容器包装リサイクル法等)が出来、ゴミの収集方法が変わってきました。200万人が住む名古屋市はゴミの収集が可燃ごみと不燃ごみを分別して出すという従来の方法から変わることが周囲の自治体より遅く、周囲の自治体は収集方法が厳しくなってゴミを分別するのが面倒くさくて仕方がない郡部の人々の中にはゴミを名古屋市内に持っていって捨てると言う信じられない行為をする人もいました。ところが、名古屋市でもついにゴミの埋め立て場がなくなっているという危機を自覚し、数年前からは10項目ほどの分別をさせるようになりました。その効果は、すぐ現れ、名古屋市は全国の政令指令都市の中でもゴミの量の少なさがトップレベルになりました。 そのような中で私が住む郡部はといいますと、従来の収集方法より少々厳しくなり可燃ごみ、不燃ごみに加え、細かい資源ごみと分かれています。町民はそれに合わせて分別をしているのですが、私が学生時にアル
  • 道徳教育研究
  • 550 販売中 2008/06/30
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  • 道徳教育の研究レポート
  • 「道徳教育の研究」 第5章 社会変動と道徳教育  道徳教育を考えるとき、道徳が論じられている社会を抜きにしてそれを語ることはできない。人間は生まれ育った社会における文化の中で、その文化固有の価値観を学び身につける。この点からみれば道徳を学ぶということは、一定の社会に生まれ育つ個人が、その社会の文化を習得していく過程すなわち文化化と考えられる。道徳の問題が論じられる場合には、その道徳が成立している社会・文化的背景によって道徳の問題が規定されていることをまず忘れてはならない。  今日のような社会間の交流や文化間の接触が頻繁な時代においては、社会や文化自体が日々変貌している。また、子どもたちを取り巻く社会、文化的環境も変化している。私たち大人は子どもたちの道徳の問題を論じる前に、子どもたちを取り巻く社会の変化や文化の変容を考察する必要がある。  子どもが生まれた家庭環境およびそれを構成する家族は、子どもが接する最初の集団でありかつ子どもにとっては強制集団である。子どもたちにとってこの家庭の環境は、子どものその後の発達に重大な影響を及ぼす。子どもが成長する過程で、大きな影響力をもっているのはまさにその家庭であるが、この家庭を支える家族に関して、しま変化が生じている。その変化とは、ひとつには社会環境の変化にともない家族のあり方が激変している。また家族特有の病理現象も生まれている。反対に、積極的に家庭をとらえ直そうとしたり、子育ての原理に関しても新しく創造しようという動きもみられる。いわば、現代の家族はカオスの状況の下にあるのだ。そのカオスを土台として子どもたちは成育しているのである。そこで現代家族として大事なことは私たち一人一人が、自ら「家族」のあり方や家族の運営の仕方、ひいては家族における子どもの育て方を模索し、一つ一つの家族が自らの「家族」の理念を構築する必要があるということである。  子どもたちを養育する家族は、戦後様々な形で様変わりしてきた。家族の変容は、それが独立した要因ではなく相互に関連しあっており、変化する家族の中で養育される子どもたちの生活環境にも影響を及ぼすものである。ここで子どもたちの家庭内での教育にとって重要な役割を果たしてきた母親に焦点を絞って、その変化を探っていく。今日のような専業主婦と呼ばれる形態が誕生するのは第二次世界大戦後の高度経済成長期である。その後、生活水準の向上を背景に、日本の家族は消費型家族へと突き進んでいく。この消費型家族では、家族の中心は「消費」を行う妻や子どもたちであり、生産や労働にかかわる夫は家族の中心ではなくなった。つまり父権は失墜したのである。同時に専業主婦という存在自体にも、変化が生じている。家事から解放された主婦は近年の経済状況や雇用状況の変化により、また自己実現のため、育児から手が離れると社会で再び働くようになった。  また家族が生活する場においても、変化はみられる。子どもたちが生活する空間は、「消費」社会という人工的な空間になった。人工的な空間は道徳性の発達に必要な現実の世界における心の痛みといった原体験を生じてこない。子どもたちの道徳性の発達には人間関係で学ぶ豊かな感受性が必要であり、原体験はこの感受性の育成には欠かすことができない。この感受性を育成することが現代の家族に求められているのである。  戦後の家族形態の変容と共に、今日家族内での様々な病理現象が顕在化している。家庭における病理現象が社会現象として顕在化するのは、1980年戦後であると思われる。その発端は、家庭内暴力であった。さらに近年
  • 道徳教育の研究 道徳教育をまなぶ 遠藤克弥 田部井潤
  • 550 販売中 2007/12/13
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  • 道徳教育の研究 科目最終試験問題 『道徳教育の目標について述べよ。』
  • 道徳教育の研究 科目最終試験問題 『道徳教育の目標について述べよ。』  道徳教育は、豊かな心を育み、人間としての生き方の自覚を促し、道徳性を育成することをねらいとする教育活動であり、社会の変化に主体的に対応して生きていくことができる人間を育成する上で重要な役割をもっている。道徳教育は、各教科・外国語活動・総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて行うとともに、あらゆる教育活動を通じて、適切に行われなくてはならない。
  • 道徳教育の研究 科目最終試験 佛教大学 通信
  • 550 販売中 2008/09/16
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  • 宗教教育なしに道徳教育は可能か?
  • 「なぜ人殺しをしてはいけないか?」あるいは、「なぜいじめをしてはいけないか?」と生徒に聞かれたら、その生徒が納得できるように答えることができますか? …世の中の大切なことのほとんどが論理では説明できないのだと思います。 先日、友人のイギリス人と話していて、どの宗教を信仰しているかという話題になったとき、私を含む現代の日本人の多くは無宗教だ、と言ったら大変驚かれた。なぜなら、イギリスや他の多くの欧米諸国は宗教によって子供に道徳やモラルなどの規範を教えるからだ。だから彼は、宗教なしに道徳的な規範を教えることが可能なのか、と思ったのだろう。 同じような話が、新渡戸稲造の「武士道」の序文にもあったことを思い出した。「あなたがたの学校では、宗教教育というものがないのか?」と尋ねるベルギーの法学者ラブレーに対して、新渡戸が「ありません」と返事をすると、ラブレー氏は驚きのあまり突然歩みをとめ、「宗教がないとは、一体あなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返した、といったことが書かれている。
  • レポート 教育学 道徳 宗教 教育
  • 660 販売中 2006/11/04
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  • 道徳の指導法「道徳教育の目標と内容」【玉川大学】
  • ※このレポートは、玉川大学通信教育部・科目名「道徳の指導法」平成24年度課題の合格済レポートです。 教員による評価・批評は以下の通りです。 <評価> C(合格) <批評> ⑴は、「目標」の分類の仕方に未整理なところはありますが、「内容」のとらえ方は的を射ています。 ⑵は、学習をよく反映した内容でよいと思います。 道徳教育は学校教育の「核」となるところですから重視していきましょう。 ____________________________
  • 環境 日本 社会 小学校 文化 道徳 学校 発達 国際 玉川大学 通信教育
  • 990 販売中 2015/07/06
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  • 現在の道徳教育の課題について述べよ。
  • 「現在の道徳教育の課題について述べよ。」 道徳教育とはどのようなものか。  まず、道徳とは社会生活の秩序を存続するために個人が守るべき規範の総体であり、それらを身につけるために道徳教育が学校において設けられている。 2.日本の道徳教育について述べる。 今日の学校での道徳教育は、学校の教育活動の全体を通じて行われるものとされているが、さらにそれを補充し深化し統合するためでもあるのだ。しかし、今日の道徳問題は単に学校という枠の中だけではなく、家庭や地域社会や機能社会の全体にわたって密接不可分な関連をもって、大規模な展開をみせているのである。道徳教育をするうえで学校教師は、自分自身で人生の意味を発見できるように彼らの生活経験領域を意図的に計画的に整備しておくことが必要である。 学校道徳教育の課題となるのは、児童生徒が人生の意味についての感受性を敏感にさせることができるような、六領域の生活経験について検討してきた。これらは、児童生徒の道徳性の育成のための基礎であり、また文化的・宗教的な背景が何であったとしても、すべての児童生徒の道徳教育の基礎となりうるものであるのだ。  現代社会における学校道徳教育は、あくまでも人類全体に開かれた普遍的な目的を持ったものでなければならない。また、人間として真に生きるに値する生活を実践することができるような価値の発見へと導いていくような知性と感受性を育成していかなければならない。そのような人生の意味についての探究は、単に何のために生きるのかという目的感覚だけでなくて創造的に生活するための精力と活力とを児童生徒の身につけさせることが出来るようになるのである。 欧米の道徳教育の歴史的変遷について。 古代の道徳教育は「徳の教師」と自称する「知識人」(ソフィスト)の代表者プロタゴラスとその批判者ソクラテスとの間で行われた「徳は教えられるか」についての論争がおこった。この問題は、プラトンの「メノン」では、教えられる唯一のものは知識であると述べられている。従って、「徳が知識であれば教えられる」のである。「徳は知である」ということが証明され、「徳は教えられる」という証明にならなければならないのであるが、出された前提は、物事をおしえるにはどうしても教師が必要であるということである。しかるに徳には教師はないといえるのだ。 批判者であるソクラテスは「徳を教える教師もなく、徳を教える方法もない。」と言った。ようするに、徳の教師はないということであり徳は教えるものではなくして徳によって化かせられるのである。徳の知見は、徳ある人との行為的な関連によってしか学ぶことができないのである。それに対してプロタゴラスは、世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実を注目して、徳は教えられると主張した。つまり、現実の世の中では子どもと同じ水準の精神構造をもつ大人に対して、細心の注意を払いながら懲罰などの外的圧力を用いることによって徳を他律的に教えているではないか。それゆえ徳とは何かと言うことは、まった自明の事実であったのである。プロタゴラスが主張する道徳教育は、世間でおこなわれているようなごく普通の道徳訓練であったが、これに対してソクラテスは子どもではなく青年を対象として永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げて、問答法を用いて道徳教育を進めようとしたのである。 ソクラテスの弟子プラトンは、子どもの道徳的成長を発達段階的にとられ、子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、また、理性的になればソクラテス的立場をそれぞれ採用するという考えを示したので
  • レポート 教育学 道徳 教育 通信 道徳教育の研究
  • 550 販売中 2007/06/24
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