戦没者の追悼について

閲覧数1,573
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    首相の靖国神社公式参拝問題について
    はじめに
    軍人・民間人ともに、多くの日本人が命を落とした第二次世界大戦。私はその全ての人を戦没者とひとくくりにするのではなく、A級戦犯と一般の人とは区別して考えなければならないと考える。もっとこだわって戦没者を分類するとしたら一般の人も、政府(軍部)に逆らって殺された人と軍部に心酔していて戦死した人では当人にとっての死の意味がかなり違ってくると思うからだ。これから、靖国神社参拝問題について反対の立場から意見を述べたい。
    1.A級戦犯とは
    「Q&Aもっと知りたい靖国神社」(歴史教育協議会編・大月書店)には「A級戦犯とは日本の侵略戦争の責任者を裁いた極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で、有罪判決を受けた戦争犯罪人のことです」とある。東京裁判は1946年から2年以上にわたって開かれたもので、戦後最も有名な裁判と言えるだろう。A級戦犯は日本国民を極悪非道な侵略戦争へと導いたとし、その罪は通常の戦争犯とは一線を画すとされた。彼らの罪名は「平和に対する罪」と「人道に関する罪」で、これにより28名の被告が裁かれ、そのうち東条英機・広田弘毅をはじめとする25名が有罪となった。それ以外にも捕虜虐待の罪によりB・C級戦犯として裁かれた人たちもいる。
    2.靖国神社における戦没者の祀り方
     ここ数年、小泉首相が内閣総理大臣として靖国神社を参拝するごとに中国や韓国の対日感情が高まっていることが社会問題となっている。靖国神社は一般には明治維新以後の戦争で亡くなった人々を祀った神社とされ、現在祀られている。戦死者数は約246万と言われており、そのうちの213万3760人(86.5%)がアジア・太平洋戦争の犠牲者とされている。靖国神社は天皇のために忠義を尽くし、戦死(戦傷死・戦病死を含む)したと、陸軍省・海軍省が認定した軍人・軍属・一部の民間人を国家の神として合祀する特別な神社である。戦前の教科書では靖国神社の挿絵に「天皇陛下の御ために」という言葉が添えられていたり、儀式や朝礼が行われるときも、靖国神社に祀られた神(天皇のために死んで行った人々)のありがたさが幾度となく説かれた。
     それにしても、何故これだけ多くの戦没者を「神」として祀らなければならないのか。この神社で祀ることの主たる目的は、死者を追悼することよりも死者の“名誉”ある行為のために命を捧げることを奨励し、アジアへの侵略戦争を正当化することだった。A級戦犯を他の戦死者と合祀したり、戦前の考えを変えることなくアジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と表記しているのは靖国神社が戦前から変わっていないと言うことを表わしている。
     靖国神社側は社会の非難をどう受け止めているのか。そう思って開いた靖国神社監修の「ようこそ靖国神社へ」の中にA級戦犯合祀の記述は見当たらないのである。靖国が私たちに発信しているメッセージといえば、戦前となんら変わった点のない「祖国日本のために死んでいった英霊を神として祀り、祈りを捧げよう」というスローガンのみである。靖国神社社務所による「靖国神社をよりよく知るために」(1992)には、「結果として武運つたなく敗れた」と記されており、戦争を肯定する立場にあることは疑う余地はない。同書によると、日本が太平洋戦争をおこす経緯についてはアメリカの一方的な経済制裁が必要以上に強調されており、台湾・朝鮮の植民地化を狙って日清・日露を戦ったこと、満州国をでっち上げたことには一切触れていない。しかも日本の敗戦こそアジアの国々が独立できた最大の要因であったとしている。韓国において行われ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    首相の靖国神社公式参拝問題について
    はじめに
    軍人・民間人ともに、多くの日本人が命を落とした第二次世界大戦。私はその全ての人を戦没者とひとくくりにするのではなく、A級戦犯と一般の人とは区別して考えなければならないと考える。もっとこだわって戦没者を分類するとしたら一般の人も、政府(軍部)に逆らって殺された人と軍部に心酔していて戦死した人では当人にとっての死の意味がかなり違ってくると思うからだ。これから、靖国神社参拝問題について反対の立場から意見を述べたい。
    1.A級戦犯とは
    「Q&Aもっと知りたい靖国神社」(歴史教育協議会編・大月書店)には「A級戦犯とは日本の侵略戦争の責任者を裁いた極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で、有罪判決を受けた戦争犯罪人のことです」とある。東京裁判は1946年から2年以上にわたって開かれたもので、戦後最も有名な裁判と言えるだろう。A級戦犯は日本国民を極悪非道な侵略戦争へと導いたとし、その罪は通常の戦争犯とは一線を画すとされた。彼らの罪名は「平和に対する罪」と「人道に関する罪」で、これにより28名の被告が裁かれ、そのうち東条英機・広田弘毅をはじめとする25名が有...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。