教育哲学とは?

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    教育哲学とは?
    「教育を哲学する?」――難しそう、理屈ばかりこねていて、現場に役立たない、といった評判が聞こえてきます。しかし、哲学とは決して難解な言葉を用いて議論をすることではありません。「哲学する」ということは、私たちが毎日の生活の中で直面する問題を筋道立てて考えること、私たちがあたりまえと思っていることをいったん立ち止まって考え直すこと、先入観や思いこみにできるだけとらわれることなく合理的・論理的に考えることです。
     現在、「教育」には課題満載です。「いじめ」や「不登校」、家庭での親子関係、「教室崩壊」、少年非行、校内暴力、学力低下、道徳教育や総合学習、教育基本法の見直しの問題等々、挙げればきりがありません。
     これらの問題を解決するために、対症療法的に研究したり、マニュアルを作ったりするのではなく、その問題がどんな背景から生まれてくるのか、その問題はどのような語られているのか、その問題の解釈や理解にはどうして違いが生ずるのかといった根源的な問いを問うことが、教育哲学の基本的な役割です。すぐに答えが出なかったり、具体的な方策がすぐに見つからなかったりする「まだるっこしさ」はあるかもしれません。しかし、問題の「根」をじっくり見極め、現在巷にあふれている、手垢にまみれた「教育言説」のまやかしや欺瞞性を暴き出すというラディカル(根源的)な探究を行うのが教育哲学です。
     このような研究態度によって、自分自身の信念や先入観も揺らぐことになるかもしれません。フランスの哲学者、ミシェル・フーコーが「知の考古学」という言葉で表現したように、自分自身の立っている「地盤」を掘り返し、自らの信念や社会がもっている「神話」(根拠のない信念体系)の下に重なっている「地層」を明らかにすることが教育を哲学することです。
     ソクラテス・プラトン、デカルト、ロック、ルソー、ペスタロッチ、デューイといった先人の思想を学ぶのも、今日の「教育」を語る言説の下に隠れている「地層」を知るために不可欠な作業なのです。  とくに学校教育の実践は「流行」に敏感です。「基礎・基本」と言っていたかと思うと、「体験」や「総合的な学習」と、めまぐるしく移り変わります。一人ひとりの教師が目先の「流行」に流されることなく、専門的職業人として借り物でない言葉で教育実践を語ったり、分析することができるようになるためにも、教育を哲学することは不可欠なのです。
    情報提供先 -> http://snow.shinshu-u.ac.jp/~kyotetsu/tetsugaku.html

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