05I031岩崎麻由

閲覧数2,290
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    05I031 岩崎麻由
    ヨーロッパ・アメリカ人内部での国民性の描写
    まず一番わかり易い表現でえがかれていたフランス人の気質です。さすがに作者がフランス人なだけに好意的な面だけに描かれているように感じる描写が多かったように思います。たとえば・・・彼はいかにもフランス人らしく、しゃれを飛ばした。「うまく入りましたな!さすがは『イギリス人の拳はよく当たる』と言うだけあって!」・・・(八十日間世界一周320ページより)
    ・・「役人」の巡視があった。これらの役人は、立派な服装をし、従者を従えていてまるで大使のようだった。それゆえパスパルトゥーは、・・・きまっていつもこう戯れに言った。「ほらきた!日本の大使がヨーロッパに出発だよ!」
    ・・(八十日間世界一周320ページより)
    などのようにフランス人は皮肉まじりのジョークが得意であるということを意図した作者の描写のように思われる。
    次にこの物語の主人公であるイギリス人の気質について描かれている箇所が終わりのほうに描かれています。・・・出発に際して持っていった莫大な金額は、ほんの少ししか残っていなかった彼の財産といえばベアリング兄弟銀行に預けている二万ポンドだけで、それも今では革新クラブの仲間たちへの有に帰してしまった。もちろんこのように多額の出費をしたのではたとえ賭けに勝ったとしても、おそらく儲かりはしなかっただろう。彼は名誉のために賭けをしたのだ。・・・(八十日間世界一周322ページより)これはイギリス人のプライドの高さを描いていると思われます。しかし、ヴェルヌは物語全体を通して、イギリス人を否定的には描いていない、むしろ誠実な人種として好意的であるように思われます。
    最後にアメリカ人の描写については、イギリス人の描写とは対照的に描かれているように思います。とくに・・・全てのアメリカの町の型通りに、まっすぐな長い道路が基盤目に区切られ、ヴィクトル・ユゴーの表現を借りていえば、「直角のやるせない寂しさ」を持っていた。聖者の町の創立者もアングロ・サクソン族のナス均衡感の欲求から逃れることはできなかった。人々が創意工夫するに及んでいないこの国では、すべてが、いえも、町も、ばかげた言行にいたるまで「四角張っていた」・・・(八十日間世界一周250ページより)これはアメリカ人が開拓時代に新しい国を作ろうと躍起になっているけれどヨーロッパの思想から抜け出せずにいる。つまり、猿真似ばかりしているアメリカ人として作者は否定的に描いているように思います。
    もうひとつアメリカ人の気質として描かれている部分がありました。
    ・・ホテルの階下は大きなバーになっていて、通りがかりのものでも勝手に入れた。乾燥肉、かきのスープ、ビスケット、チェスター産のチーズが置かれており、ほしい物は別に金を使わずとも勝手に食べられた。酒類にだけ払えばよかった。これははなはだ「アメリカ的」だとパスパルトゥーは思った。・・・(八十日間世界一周229ページより)これはアメリカ人のどういったところおさしているのかよくわかりませんでした。あえて言うならば、開放的でいい加減ということでしょうか?
    この小説から読み取れるフランス人ヴェルヌの非ヨーロッパ観
    今回は前回の非ヨーロッパ人たちのようにジャングル奥地に住む野蛮な人食い人種という者たちのみならずアジアについての描写が多く見られました。例えば中国人・・・現在では、時とところをとはず中国内ではアヘン吸飲が行われているといっても過言ではない。・・・今香港で急速に増えつつある喫煙所のひとつであった。・・・イギリスは一年に一

    資料の原本内容

    05I031 岩崎麻由
    ヨーロッパ・アメリカ人内部での国民性の描写
    まず一番わかり易い表現でえがかれていたフランス人の気質です。さすがに作者がフランス人なだけに好意的な面だけに描かれているように感じる描写が多かったように思います。たとえば・・・彼はいかにもフランス人らしく、しゃれを飛ばした。「うまく入りましたな!さすがは『イギリス人の拳はよく当たる』と言うだけあって!」・・・(八十日間世界一周320ページより)
    ・・「役人」の巡視があった。これらの役人は、立派な服装をし、従者を従えていてまるで大使のようだった。それゆえパスパルトゥーは、・・・きまっていつもこう戯れに言った。「ほらきた!日本の大使がヨーロッパに出発だよ!」
    ・・(八十日間世界一周320ページより)
    などのようにフランス人は皮肉まじりのジョークが得意であるということを意図した作者の描写のように思われる。
    次にこの物語の主人公であるイギリス人の気質について描かれている箇所が終わりのほうに描かれています。・・・出発に際して持っていった莫大な金額は、ほんの少ししか残っていなかった彼の財産といえばベアリング兄弟銀行に預けている二万ポンドだけで、それも今では革新クラブの仲間たちへの有に帰してしまった。もちろんこのように多額の出費をしたのではたとえ賭けに勝ったとしても、おそらく儲かりはしなかっただろう。彼は名誉のために賭けをしたのだ。・・・(八十日間世界一周322ページより)これはイギリス人のプライドの高さを描いていると思われます。しかし、ヴェルヌは物語全体を通して、イギリス人を否定的には描いていない、むしろ誠実な人種として好意的であるように思われます。
    最後にアメリカ人の描写については、イギリス人の描写とは対照的に描かれているように思います。とくに・・・全てのアメリカの町の型通りに、まっすぐな長い道路が基盤目に区切られ、ヴィクトル・ユゴーの表現を借りていえば、「直角のやるせない寂しさ」を持っていた。聖者の町の創立者もアングロ・サクソン族のナス均衡感の欲求から逃れることはできなかった。人々が創意工夫するに及んでいないこの国では、すべてが、いえも、町も、ばかげた言行にいたるまで「四角張っていた」・・・(八十日間世界一周250ページより)これはアメリカ人が開拓時代に新しい国を作ろうと躍起になっているけれどヨーロッパの思想から抜け出せずにいる。つまり、猿真似ばかりしているアメリカ人として作者は否定的に描いているように思います。
    もうひとつアメリカ人の気質として描かれている部分がありました。
    ・・ホテルの階下は大きなバーになっていて、通りがかりのものでも勝手に入れた。乾燥肉、かきのスープ、ビスケット、チェスター産のチーズが置かれており、ほしい物は別に金を使わずとも勝手に食べられた。酒類にだけ払えばよかった。これははなはだ「アメリカ的」だとパスパルトゥーは思った。・・・(八十日間世界一周229ページより)これはアメリカ人のどういったところおさしているのかよくわかりませんでした。あえて言うならば、開放的でいい加減ということでしょうか?
    この小説から読み取れるフランス人ヴェルヌの非ヨーロッパ観
    今回は前回の非ヨーロッパ人たちのようにジャングル奥地に住む野蛮な人食い人種という者たちのみならずアジアについての描写が多く見られました。例えば中国人・・・現在では、時とところをとはず中国内ではアヘン吸飲が行われているといっても過言ではない。・・・今香港で急速に増えつつある喫煙所のひとつであった。・・・イギリスは一年に一億六千万フランの巨額でこれをやせ衰え憔悴しきって頭の愚鈍になった哀れむべき人間どもに売りつけている。・・・(八十日間世界一周166ページより)中国はアヘンにより堕落した国でありそのような怠惰な人種をヨーロッパ人が支配するのは当たり前だと言う帝国主義思想がうかがえた。また、インド人に関しても・・・フォッグ氏は再びインド人のもとへ帰ってきたが、その小さな目は、ますます貪欲の色に燃え値段さえ折り合えばという様子をありありと見せていた。・・・(八十日間世界一周94ページより)のようにヴェルヌは、インド人が金に対して汚いというイメージを抱いていたように思うこれはインドに限らずアジア人全般に対しこのような印象をもっていたことをかれの文章の端々から感じました。
    前回の課題と比較したときに浮かび上がる19世紀と18世紀間の変化について
    これもインドに関しての描写から感じたことですが、・・・幾艘もの蒸気船が行きかい聖なるガンジス川の流れを乱している今日の<イギリス化されたインド>を見たとき、どのような感慨を抱いたであろうか?それらの蒸気船の音は水面を舞うかもめを驚かし、岸辺に群がる亀を驚かし長い土手に横たわっている信者たちを驚かしている。これらの光景は、全て、電光のように飛び去り、時には機関車の吐き出す煙によって、その細かい点がかき消された・・・(八十日間世界一周125ページより)前半の動物や信者の描写は鉄道や蒸気船が早いのを表すのみでなく、教科書にも載っていた鉄道の建設などにより田畑や墓地を壊されたり、職を奪われたインド人たちを比喩しているのではないかと思いました。
    ガリバーやロビンソン・クルーソーの時代には馬車や帆船の記述しかないことを考えれば19世紀は海上、陸上の輸送機関の発達は目覚しく八十日間のなかでもゴーティエ・ラルフが「たしかに地球は小さくなった。こんにちでは、百年前よりも十倍も早く地球をひとまわりできるから。」といっているように18世紀とは比べ物にならないくらい移動時間が短縮され、その分国際交流が盛んになった時代とも言えるのではないでしょうか?私はそのことをある国の記述から改めてそう感じました。
    +ά
    それは日本に関しての記述でした。今回は世界史のレポートなのであまり関係ないかもしれないと思い別項目を設けたしだいです。
    私はヴェルヌが当時の日本を正確に描写している点に驚きました。最初は本文中に日本に降り立ったときに・・・太陽の子孫達が住まう土地・・・(八十日間世界一周203ページより)とありました私は高校時代日本史選択だったので此の時の日本は元禄か安政か、一体なに時代だったのかが気になり久々に浜島書店新詳日本史図説をひもといてみました。まずこの本が出版された年を調べたところ巻末にヴェルヌが八十日間世界一周を「ル・タン」誌に1872年に連載し翌年に刊行とあったので、その当時は日本で何が起こっていたかを図説で調べてみました。すると江戸時代であるはずがないとわかりました。1873年は明治6年にあたりその前後の時代は江戸から明治へと変わる移り変わりの激しい時代だったのです。・・・江戸はかつての将軍の居住地で文人の天子様がいたころは神々の子孫で宗教上の皇帝の帝の住まわれる大きな町である都と、敵対しあっていた。・・・(八十日間世界一周202ページより)とありますが、これは1867年の大政奉還がおこり、その後天皇が江戸へ転居し江戸を東京と改名する直前の幕府と朝廷の微妙な関係を21世紀の今でさえ日本には忍者や侍がいると考えている外国人もいる中で19世紀の外国人ヴェルヌが正確に描いているのは驚くべきことだといえるのではないでしょうか?19世紀に生きたヴェルヌは当時の交通網の恩恵により国際交流の盛んになったことにより世界一周旅行がトーマス・クック社で開催されたことに触発されこの小説を書いたといわれています。
    ガリヴァーの中では、日本に関しての記述は踏み絵のことが少々描かれているだけで日本の文化についてはあまり触れていませんでした。それは当時日本にとあまり交流がなかったため仕方ないことなのでしょう。こうして前回と今回の課題を比べてみると交通網の発達がいかに人々に恩恵をもたらしたかということがよくわかりました。
    参考文献   「八十日間世界一周」 ジュール・ヴェルヌ著 角川文庫改版初版発行
    新詳日本史図説 浜島書店

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。