資料:60件
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ジェンダークィア、あるいはジェンダーの自由の公正な分配
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ジェンダークィア、あるいはジェンダーの自由の公正な分配 --「トランスジェンダリズム」批判
1.はじめに 私も編集段階から関わった書に、 『トランスジェンダリズム宣言・性別の自己決定権と多様な性の肯定』 がある。この書は、性別の越境について、「性同一性障害」というものの見方に対して、「トランスジェンダー」(これの意味するところは後で論じる)という見方を提示するものであった。この書が出版されてから2年、その間に「性同一性障害特例法」の成立・施行、それに付随するマスメディアでの「性同一性障害ブーム」があり、情勢は大きく変わった。それと共に、「トランスジェンダー」というあり方の意味するものも、大きく変質したのではないかと思う。本文は、この書の出版と、それに関連した動きについての、私なりの総括である。 この点、提示された「トランスジェンダリズム」とは、最大公約数的に見て、性別を個人の意思により自己決定できるものと考えることを論じていた。これは、生まれながらの性別に違和感を感じることを「性同一性障害」という疾患と捉え、治療の対象とする考え方に対してのアンチテーゼであった。 そして、その性別の自己決定を阻むものが、性別は男女の二つに限り、また「男らしさ」「女らしさ」を固定的に捉える性別二元論と、それに基づいて造られた社会制度であり、この社会制度を改め、性別をゆるやかに捉えることが性別に関する個人の自由を保障する、というものであったはずである。 しかし、今日「トランスジェンダリズム」といえば、個人の生き方、あるいは生き様の問題であると捉えられている。そこでは、性別二元論や社会制度への批評は、既に影をひそめている。性同一性障害批判という形で展開されていた医療批判は、医療を自由に使いこなす個人の存在が確立されることを条件に、既に解決済の感がある。
ここで、性別の問題は個人の問題であり、単に個人が努力すれば解決できる問題なのであろうか。もちろん、ここで直ちに社会の問題であるという結論を出すには、慎重でなければならないかもしれない。既に、性別に関するバックラッシュの環境の中で、どれだけの説得力を持ちうるのかは、慎重に見極められなければならない。 しかし、個人の問題と捉える限り、性別に関してよりよい生活を得られる者は、ごく一部の勝ち組、それも本人の努力とは関わりないところで決定される勝敗による、でしかないことについて、「性別の自己決定権」論者は、今後どのような回答をするのか。 私はここで、性別違和を疾患と見なす「性同一性障害」の立場に回帰するつもりは全くない。しかし、「性同一性障害」の立場の方が、結果として多くの当事者のニーズをすくいあげたことは直視すべきであると思う。言い換えれば、自由に自己決定できない状況のもとにいる者の声を、「性別の自己決定」論者は、どれだけ耳にしてきたのか。
本来、自己決定権は、自由主義経済下で、「弱者」「マイノリティ」という地位に置かれた者に、「強者」「マジョリティ」と対等な資格を与えるという扱いをすることにより、その者が持つ文化的背景を尊重するという戦術であったはずである。 むしろ求めるべきなのは、文化的背景の複数性を許容するシステムであり、性別の多様性の問題もその中で位置づけられるべきである。すなわち、ジェンダーについてクィア(変態)なものが共存するシステムである。自己決定権は、この複数性を承認するための、自由主義経済下での手段でしかないはずである。
2.トランスジェンダリズムの変質 『トランスジェンダリズム宣言』(社
- 全体公開 2007/12/21
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パトリック・カリフィア『ジェンダーとトランスジェンダリズムの未来』
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パトリック・カリフィア『ジェンダーとトランスジェンダリズムの未来』 「セックス・チェンジズ トランスジェンダーの政治学」より
次の世代において、トランスジェンダーの活動家はボーンスタインの指し示したような道を進んでいくのか、それともより伝統的な公民権獲得型の手法をとっていくのか、興味深いところである。トランスセクシュアルなど、トランスジェンダーのコミュニティにいる人々が、「普通の」男性や女性になるという、医療の示したゴールを捨てる唯一の手段は、ゲイのコミュニティになぞらえられることがあるが、ジェンダーの規範を安全に、あいまいにできるような、自らのコミュニティをつくることであろう。こういったサブカルチャーを創造することは、莫大な時間と労力を要することである。しかし、これが恐らく、社会を変革する唯一の手段であろう。ジェンダーの二極化にかからない生き方を提示するのである。
もっとも、ジェンダーレスな文化やコミュニティの建設は、偏見を持たれている特殊なアイデンティティから普通の凡庸なアイデンティティへの移行が不可能であるか、またはそれを望まないようなトランスジェンダーにとっても、関心の高いことであるとは思えない。トランスセクシュアルの大半は引き続き、できるだけ平穏に性別の再指定を受けようとするだろうし、後は望んで群衆の中に埋没していくであろう。この伝統的なグループが、トランスセクシュアルの多数派なのであろう。しかし、その中で相対的に少数の者しか、活動家になるという選択をしないため、トランスセクシュアルの政治の中での影響力は小さい。その結果、差異のある人が存在するという事実は、ラディカルな政治活動に楔を打ち込むことにならないのである。そして、典型的あるいは平均的といわれるところから離れている者ほど、方法は決まっているということを前提にして議論することを好みがちなのである。
ゲイやレズビアン・コミュニティにおいても、中流アメリカ人の良き生活を得ること以外のものを求めない同化主義者と、そういったライフスタイルをほとんど望まないラディカルなクィアの間には緊張関係が存在する。同様に、性別再指定の過程を、真の性別を確証するためのものと捉えるトランスセクシュアルと、解放の可能性は生物学的性別を明らかにすることにかかっていると考えるトランスジェンダーの間の争いは継続するであろう。
ただ、このトランス・アクティビズムの二つの側面が目的とするものは、二律背反であるように見えるものの、実際には健全なジェンダー観をもつ社会の実現のためには、両者とも重要なことである。ジェンダーの自由という概念がいかなる意味を持とうとも、生物学的性別あるいは出生時に指定された性別にこだわる人もいれば、望む性別に身体を適合させようとする者、さらには二元的な性別観そのものを疑う者は、それぞれ存在し続けるだろう。 残念なことに、それぞれの立場を代弁する者が、他の立場の正当性を理解できるようになる可能性があるかというと、五里霧中である。差異は常に、耐え忍ぶのに難しいものである。競争心が深く刷り込まれているため、最もラディカルな者にさえ、共通の課題ではないけれども、横断的な目的を持った作業に取り組むことへの反発が積もっている。結果として、争いと論争が激しくなる。しかし私は、トランスジェンダーのコミュニティと政治との関わりが脱線することはないと信じる。そして、トランスジェンダーの活動が進展するなら、幸いそうでない者も多くの利益を得るのである。
異なったジェンダーを持つ者でなくても、トランスジェンダ
- 全体公開 2007/12/21
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企業におけるジェンダー──雇用均等法と家族責任
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国際社会において、男女同権の動きは国連憲章の男女同権の原則に始まり、1948年の世界人権宣言、1967年の婦人に対する差別撤廃宣言へと続いた。戦後つくられた日本国憲法の第14条でも、実は基本的人権の一環として男女の平等を保障しており、男女平等の労働権や、男女平等の学習権等が規定されている。しかし戦後、企業社会が確立されていく中で、企業に雇用される女性は理想と現実との大きなギャップに悩まされ続けてきたように思われる。
1986年、男女雇用機会均等法が国際社会の外圧に応じる形で施行され、企業の多くはコース別人事制度を導入することによってそれに対応した。転勤を伴う管理職コース「総合職」と、転勤は少ないが賃金体系や昇給・昇進などの待遇に差をつけられる「一般職」に女性を振り分け、ごく少数のエリート女性にのみ均等法の適用を図るというこの新しい人事制度は、終身雇用を前提とした日本型の経営システムの範囲内で均等法を受け入れるための策だった。
均等法の運用において、企業経営面での大きな問題となったのは教育訓練における差別の禁止規定、つまり男女で教育に差をつけられなくなったことである。教育にはコストがかかる。一人前の企業戦士となるべく育てられる男性と同じだけのコストを女性にもかける場合、コストを回収できる前に辞められてしまうという大きなリスクがある。そこで、コース別の人事制度を導入し、女性だけを総合職と一般職に区別することになった。数が限られた総合職の女性なら、男性と同じように投資しても採算は取れるという考えである。
こうした、人件費をできるだけ抑え、かつ労働者間の競争心を煽ることにより生産性の向上を図る、という経営戦略にのっとった人事管理や賃金管理は、労働者をより強く拘束する結果となった。企業が労働者を評価する際の評価基準は、企業への貢献度、忠誠度といったものとなる。
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レポート
ジェンダー
女性学
雇用均等法
- 550 販売中 2006/01/27
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ジェンダー・フリー教育の現状と実現に向けての課題
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「学校をジェンダー・フリーに」という題名に惹かれてこの本を手に取ったのだが、読み終えた後、まさに目から鱗が落ちるような経験をした。この本は、疑いをもたずに自明なものとしてきた学校の教育環境にちょっと立ち止まって考える必要性を与えてくれた。
この本は、日本の学校現場の状況をできるだけ多く取り入れ、現在の学校システムが「性差別を再生産する装置」であることを人々に気付かせてくれる。そして読者(とりわけ教師)が「ジェンダー・センシティブ」になるよう訴えかけている。具体的には「隠れたカリキュラム」という言葉を用いて、名簿や制服などの細かな問題から、授業やクラス構造、教育方法、教師教育、教育政策など大きな問題まで取り上げ、「男性中心に作られた枠組み」を変革し、ジェンダー・フリーに向けた教育の見直しを提言している。
我々一人ひとりがジェンダーに縛られることなく、自分らしく生きることができる社会、性差別のない社会を作っていくためには、この男性優位の固定観念が未だに根強く残る日本の習慣や制度を見直し、教育の現場からジェンダー・フリーを実践していく必要がある、と私は強く感じた。
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レポート
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ジェンダーフリー
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ジェンダー教育
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【東京福祉大学】 1291 ジェンダー論 評価A
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【設題1】 性差別と性の役割について述べよ。
これまで多くの社会では、性の役割は生物学的な違いに根ざした「セックス」という意味での自然で自明な物であり、自らの性に与えられた役割に従って生きることが当然と考えられてきた。例えば、現代社会においては、男性は社会に出て働き、外での活動的で創造的な仕事に従事することと、女性は子どもを産み育てて、家庭を守る役割が与えられた。そのため、各々の役割にとって望ましい特質が、「男らしさ」「女らしさ」として求められ、それに反すれば社会的否定や非難といったペナルティが課せられてきた。本レポートでは、性差別と性の役割について述べる。
性差別とは、生物学的性差に基づいて、
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教育社会学Ⅱ(1分冊)ジェンダーと教育の理解
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玉川大学の通信レポート【A判定】
全くの素人が独学で書いたものなので、簡単な内容となっております。どうぞ、参考用にご覧下さい。
―教員コメントー
全体的にいいですが、論じる順番や展開を見直すとさらに良くなると思います。接続詞をうまく使うといいでしょう。
―内容―
テキスト177頁think your selfで紹介されている事例以外に、現代社会において(身を立てる男)(駆り立てる女)の対比が当てはまる現象を挙げて述べていく。
次に「しかしながら、21世紀の現在、『愛』をキーワードとする性別分業システムは、変容せざるを得ない段階を本格的に迎えているのかも知れない」(テキストP177)という文章について、教育社会学の観点からコメントしていく。
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ジェンダーの視点で家族や教育を見たときにどのような課題が浮き彫りになるか?また今後はどのような態度を
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『ジェンダーの視点で家族や教育を見たときにどのような課題が浮き彫りになるか?また今後はどのような態度をとっていくべきか?』
1.はじめに
性と一言で言ってもその意味合いは様々です。例えば、セックスとすると生物学的な性。身体的なもの。実際は男と女とインターセックス(両性具有など男女どちらかに分化していない)の存在などを表します。そして、 ジェンダーというと社会的、文化的につくられている性。生物学的な性差を根拠として男女の違いを強調し、二分化して考えさせる点を問題とし、そうしたとらえ方は社会的文化的につくられているといった意味を指しています。今回は後者であるジェンダーに関して、私たちの生活に身近な家庭と学校のなかから問題点を考えていきたいと思います。
2.家族の中のジェンダー
「男は仕事、女は家庭」という通年は、今、確実に揺らいでいます。しかしながら、「女は家庭」「家事は女の仕事」といった理念の影響力はいまだ根強く、社会メカニズムも、この理念に沿って動いている。雇用機会均等法が施行されているにもかかわらず就職や昇進で大きな男女格差が生じるのは、女性個人の意思や能力よりも「女」というカテゴリーが判断基準になって、女性は結婚や出産で家庭に入る。あるいは、育児期の女性は企業の思うように働いてくれないと捉えられるからです。また、働く母親に対して社会の目は決して優しいものではありません。
子供がかわいそう」という声があったり、子供に何か問題があると、真っ先に母親の責任が問われます。母親自身も役割意識を内面化しているため、子供に十分な時間が取れないことに後ろめたさを感じながら働いています。これに対して父親のほうは仕事と家庭の両立に悩まされることはほとんどありません。私たちの日常生活や社会システムは、なぜ性役割理念に拘束されているのでしょうか。
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レポート
教育学
学校
家庭
教育
ジェンダー
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男女共学化過程の旧男子校と旧女子校における生徒のジェンダー形成
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収録誌
日本教育学会大会発表要旨集録
Vol.66(20070821) pp. 172-173
日本教育学会
書誌情報
男女共学化過程の旧男子校と旧女子校における生徒のジェンダー形成(17-【B】ジェンダーと教育,1 一般研究発表I,発表要旨)
片岡 洋子 1 杉田 真衣 2 渡辺 大輔 3
1千葉大学教育学部 2東京都立大学大学院 3千葉大学他
資料提供先:
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10225682/ISS0000413248_jp.html
- 全体公開 2008/01/02
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