物質観の変遷

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    物質観の変遷
     
    四原質説と原子論
     「物質とは何か」という問いに対して、ギリシア時代に二つの異なった答えが提出された。一つはアリストテレス(前三八四-三二二)によって集大成され、ギリシアの自然哲学において支配的となった「四原質説」である。もう一つはギリシア時代には異端的な考え方とされたが十七世紀に復活し、現代の物質観にも通じている「原子論」である。
     「万物の根源は水である」と論じたのはターレス(前五八○頃盛年)であるが、同じくアナクシメネス(?-前五二六頃)は空気、ヘラクレイトス(前五四○頃-?)は火がそれぞれ始源物質であるとした。こういった論議を受けてエンペドクレス(前四九三-四三三頃)は「土、水、空気、火」の四つを始源物質であると論じた。すなわち、万物はこの四つの物質がさまざまな割合いで混合されて成っているというのである。さらにアリストテレスは、質料としての「基体」に「温-冷」、「乾-湿」という相対立する四つの性質が付与されることによって四つの原質が現出するとした。したがって、厳密にいえばアリストテレスの考えは「一原質、四性質説」と呼ぶべきかもしれない(村上陽一郎『西欧近代科学--その自然観の歴史と構造』新曜社、一九七一年。特に第5章「物質観の転換」参照)。
     さて、アリストテレスによれば、四原質と四性質とは図-1に示されるような関係にある。すなわち、土は「乾-冷」、水は「冷-湿」、空気は「湿-温」、火は「温-乾」の性質をそれぞれもっている。また、土と水は「重さ」の性質をもち(土は水より重い)、空気と火は「軽さ」の性質をもつ(火は空気よりも軽い)とされた。そのため、土と水は自らの性質に応じて下降運動し、逆に、空気と火は上昇運動するのである。
     現代の高度に洗練された物質観を共有しているであろう読者には、上記のようなギリシアの物質観は、いかにも粗雑な、さらにいえば荒唐無稽な物質観のように映るかもしれない。しかし、決してそうではない。アリストテレスの物質観は、われわれが日常的に観察することのできる物質の変化や運動を実に巧みに説明してくれるのである。
     たとえば、土は手を離すと落下するし、水は低い方へと流れる。一方、焚き火の際に観察されるように、空気や火(炎)は勢いよく上昇する。また、「冷-湿」の性質をもつ水を温めてみよう。図-1によれば、水は「温-湿」の性質をもつ空気になる。これは水を熱すれば空気(われわれの言い方では、水蒸気)になるという身近な経験を見事に説明してくれる。同様のことが他の原質、性質についてもいえるわけで、四原質は、四性質を変化させることによって相互に転換可能ということになる。かくて、この理論によって、自然界に生じている多彩な物質変化が体系的に説明可能となったのである。
     それどころか、物質が相互転換可能だということは、工夫次第では、人間にとって有用で貴重な物質、たとえば金や不老不死の薬も作り出すことができるということを意味している。古代エジプト以来の歴史をもつ錬金術(Alchemy)がアリストテレスの物質観にそのよりどころを見い出したのも当然といえよう。
     一方、温、冷、乾、湿などといった人間の感覚知覚は相対的であやふやなものと考え、そのようなものに基礎をおく物質観に飽き足りない人々がいた。たとえば、デモクリトス(前四六○頃-三七○頃)がそうで、彼は多様な物質の根底には、これ以上分割できない究極の粒子=原子( atom とは、分割不可能という意味)があって、この原子の組み合わせの結果として、前述の四性質はもとより

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    物質観の変遷
     
    四原質説と原子論
     「物質とは何か」という問いに対して、ギリシア時代に二つの異なった答えが提出された。一つはアリストテレス(前三八四-三二二)によって集大成され、ギリシアの自然哲学において支配的となった「四原質説」である。もう一つはギリシア時代には異端的な考え方とされたが十七世紀に復活し、現代の物質観にも通じている「原子論」である。
     「万物の根源は水である」と論じたのはターレス(前五八○頃盛年)であるが、同じくアナクシメネス(?-前五二六頃)は空気、ヘラクレイトス(前五四○頃-?)は火がそれぞれ始源物質であるとした。こういった論議を受けてエンペドクレス(前四九三-四三三頃)は「土、水、空気、火」の四つを始源物質であると論じた。すなわち、万物はこの四つの物質がさまざまな割合いで混合されて成っているというのである。さらにアリストテレスは、質料としての「基体」に「温-冷」、「乾-湿」という相対立する四つの性質が付与されることによって四つの原質が現出するとした。したがって、厳密にいえばアリストテレスの考えは「一原質、四性質説」と呼ぶべきかもしれない(村上陽一郎『西欧近代科学--その自然観の歴史と構造』新曜社、一九七一年。特に第5章「物質観の転換」参照)。
     さて、アリストテレスによれば、四原質と四性質とは図-1に示されるような関係にある。すなわち、土は「乾-冷」、水は「冷-湿」、空気は「湿-温」、火は「温-乾」の性質をそれぞれもっている。また、土と水は「重さ」の性質をもち(土は水より重い)、空気と火は「軽さ」の性質をもつ(火は空気よりも軽い)とされた。そのため、土と水は自らの性質に応じて下降運動し、逆に、空気と火は上昇運動するのである。
     現代の高度に洗練された物質観を共有しているであろう読者には、上記のようなギリシアの物質観は、いかにも粗雑な、さらにいえば荒唐無稽な物質観のように映るかもしれない。しかし、決してそうではない。アリストテレスの物質観は、われわれが日常的に観察することのできる物質の変化や運動を実に巧みに説明してくれるのである。
     たとえば、土は手を離すと落下するし、水は低い方へと流れる。一方、焚き火の際に観察されるように、空気や火(炎)は勢いよく上昇する。また、「冷-湿」の性質をもつ水を温めてみよう。図-1によれば、水は「温-湿」の性質をもつ空気になる。これは水を熱すれば空気(われわれの言い方では、水蒸気)になるという身近な経験を見事に説明してくれる。同様のことが他の原質、性質についてもいえるわけで、四原質は、四性質を変化させることによって相互に転換可能ということになる。かくて、この理論によって、自然界に生じている多彩な物質変化が体系的に説明可能となったのである。
     それどころか、物質が相互転換可能だということは、工夫次第では、人間にとって有用で貴重な物質、たとえば金や不老不死の薬も作り出すことができるということを意味している。古代エジプト以来の歴史をもつ錬金術(Alchemy)がアリストテレスの物質観にそのよりどころを見い出したのも当然といえよう。
     一方、温、冷、乾、湿などといった人間の感覚知覚は相対的であやふやなものと考え、そのようなものに基礎をおく物質観に飽き足りない人々がいた。たとえば、デモクリトス(前四六○頃-三七○頃)がそうで、彼は多様な物質の根底には、これ以上分割できない究極の粒子=原子( atom とは、分割不可能という意味)があって、この原子の組み合わせの結果として、前述の四性質はもとより、固い、柔らかい、黒い、白い、甘い、辛い等の種々の性質をもった物質が存在していると考えた。もちろん、原子は理性によってのみ想定することができ、感覚によってとらえることはできない。
     原子論によれば、原子は空虚(真空)の中を飛び回っている。なぜなら、原子と原子の間には何もない空間がなければならないからである(もし、原子と原子の間に物質が存在すれば、さらに分割可能となるから)。そのため、原子論は論理的に真空の存在を前提としている。この点でも原子論は、空虚(=非存在)の存在は認めらないという立場から、「自然は真空を嫌悪する」としたアリストテレスと好対照をなしている。
     真空中を究極粒子としての原子が飛び回っており、森羅万象はその現れにすぎないとする原子論の考え方は、きわめて唯物論的=無神論的であり、そのためギリシアの自然哲学では異端にとどまらざるをえなかった。
     
    錬金術
    古来の錬金術は、アリストテレスの物質観によって理論的・哲学的基礎を与えられ、アラビア世界でさらに発展させられた。さらに、十一-二世紀にかけてのアラビア世界とラテン世界との接触を通じて中世ヨーロッパでも隆盛をきわめた。もっとも、古代・中世における錬金術は、物質変換を通じて金を作る操作にとどまらず、精神変換の理論としての性格をあわせもっていたことに注意せねばならない。すなわち、古代・中世にあっては物質と精神(魂)は象徴的な結びつきをもっており、金への転化は魂の純化でもあったのである。
     さて、錬金術で重視された物質は、硫黄、水銀、さらに塩であった。これら三種の物質は、独特の色をもち、他の物質と化合しやすいという性質をもっている。その結果、さまざまな操作の過程で、一見、金に似た物質が生成されたことが三種の物質が錬金術で重用された理由であろう。もちろん、これら三種の物質に、あるいは他の物質に、いかなる操作を加えようと、金(や不老不死の薬)ができるわけがない。その意味では、錬金術は近代科学以前のしろものに違いない。しかし、化学(Chemistry)が錬金術と語源を同じくしていることにみられるように、物質の性質に関する膨大な経験的知識の蓄積、実験器具の改良(図2参照)、また何よりも実験の重視といった点で、錬金術は近代科学の源泉の一つだったのである。
     
    科学革命の時代
     十七世紀は「科学革命」の時代といわれる。コペルニクス(一四七三-一五四三)、ケプラー(一五七一-一六三○)、ガリレオ(一五六四-一六四二)、デカルト(一五九六-一六五○)らの研究を踏まえて、最終的にはニュートン(一六四二-一七二七)が天上の力学(惑星運動)と地上の力学(リンゴの落下)を統一的に説明することに成功したからである。この時代、物質観においても大きな転換が生じた。
     ガッサンディ(一五九二-一六五五)はデモクリトス流の原子論を復活させ、トリチェリ(一六○八-一六四七)は真空の存在を実験的に明らかにした。このような議論を前提にして、ボイル(一六二七-一六九一)は、一六六一年の『懐疑的化学者』によって、近代科学の一部としての化学の基礎を築いた。
     ボイルによれば、物質は感知できないほど小さく、実際上分割することができない微小粒子(熱心なキリスト教徒であったボイルは、万能の神の力による分割可能性の余地を残している)から成っており、これらの粒子(原子)、および粒子の結合したもの(分子)の配列や運動の結果が物質の性質とその変化に他ならない。さらに、ボイルは金属(たとえば金)が化合物ではなく、単一の原子から成る純粋な物質、すなわち単体(元素)であると論じて、錬金術が原理的に不可能であることを示した。かくて、ボイルの物質理論は、ニュートンの力学体系とともに、自然界を巨大で精密な機械仕掛けとみなす機械論的世界像の一翼を担ったのであった。
     この時期、ヨーロッパでは、資本主義の発達に伴って、経済的・政治的主体としての「個人(individual)」(分割不可能という意味)が登場しつつあったことを想起するのは、自然観・物質観と社会観・人間観の相関という点で興味深い(F・ボルケナウ、水田洋他訳『封建的世界像から市民的世界像へ』みすず書房、一九六五年、参照)。
     
    フロギストン、カロリック、エーテル
    十七世紀に確立された近代的物質観から現代の物質観に至る過程には、フロギストン、カロリック(熱素)およびエーテルという三つの仮想物質をめぐ論議があった(武谷三男「現代の物質観」、『現代の理論的諸問題』岩波書店、一九六八年所収、参照)。
     シュタール(一六六○-一七三四)は、可燃性の物質はフロギストン(燃素)という元素を含んでいるとの仮説を提唱した。燃焼の際、その物質からフロギストンが逃げ出すというのである。この理論は、燃焼現象を統一的に説明してくれるという点で画期的なものであった。しかし、金属を空気中で熱した場合、金属灰がもとの金属より重くなるという事実を説明するためには、フロギストンは負の質量(軽さ)をもつとせねばならなかった。この矛盾を解決したのがラヴォアジェ(一七四三-一七九四)の酸素理論である。彼は、空気中の5分の1の成分が、燃焼の際に物質に固定されること、またこの成分が動物の呼吸に不可欠なことを明らかにし、これを酸素と命名したのである(図-3参照)。
    十八世紀末から十九世紀にかけて、ラヴォアジェを含む多くの科学者は、熱現象は特別の物質的実体としてのカロリック(熱素)によると考えていた(熱物質説)。実際、ラヴォアジェは元素表にカロリックを掲げている。一方、ラムフォード(一七五三-一八一四)らは、砲身の旋削の際、大量の熱が発生することなどを根拠に熱運動説を唱えた。熱物質説から熱運動説への転換は必ずしも容易ではなかったが、熱量ではなく、エネルギーが保存されるというエネルギー保存則(熱力学第一法則)の確立ともに、カロリックはようやくその歴史的役割を終えた。
    古来、土、水、空気、火の四原...

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