2つの自然観:牧歌的自然観と帝国主義的自然観

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    2つの自然観:牧歌的自然観と帝国主義的自然観
    1.科学者としてのゲーテ
     『ゲーテ全集 全一五巻』(潮出版社版)のうちの第一四巻は「自然科学論」と題されている(一九八○年刊)。そこには「科学方法論」から始まって、「形態学序説」、「植物学」、「動物学」、「地質学」、「気象学」、さらに「色彩論」などゲーテ(一七四九-一八三二年)の代表的な科学上の著作が収められており、本文だけでも二段組みで四六○頁を越えている。ドイツ文学の巨峰ゲーテは文学者であると同時に科学者でもあったのである。この事実は、もちろん多くの人の着目するところであって、ゲーテの自然科学をめぐって、すでに多くの研究がなされてきた(全集第一四巻の巻末には研究文献一覧が付されている)。また、我が国には「ゲーテ自然科学の集い」と称する研究グループがあってゲーテが創始した形態学(Morphologie) に因んで命名された『モルフォロギア』という機関誌を刊行している。
     しかし、一般にはゲーテといえば『ファウスト』や『若きヴェルターの悩み』などの作者、すなわち偉大な詩人・文学者としてのみ知られており、ゲーテが自然科学者でもあった、などと言うとおそらく奇異な感じを与えるに違いない。また、ゲーテが自然科学に関心をもっていたことが話題になったとしても、それは文学者にはあるまじき「逸脱」であるとみなされるか、せいぜいのところほほえましいエピソードとみなされる場合が多いのではあるまいか。そういうわけで、以前、東京で行われた「ゲーテ自然科学の集い」の会合にたまたま出席する機会をもった筆者は、このような会の存在それ自体やそこでの真剣で活発な討論に驚いたものであった。
     さて、ゲーテの自然科学がなぜ「逸脱」だとみなされるかと言えば、ゲーテがその『色彩論』において、『自然哲学の数学的原理』(一六八七年)によって近代科学の礎石を築いたあのニュートン(一六四二-一七二七年)の光学理論を攻撃対象にしているからである。近代科学のチャンピオンたるニュートンに楯突くとは何と無謀なことか、ゲーテは本来の文学に専念しておけばよかったのに、と言うわけである。しかし、ゲーテがニュートンを攻撃したのは、あるいはゲーテが科学研究に励んだのは、偉大な文学者の気まぐれに発するドンキホーテ的な行為だったのだろうか? もちろんそうではなかった。「事実ゲーテは、その執筆にほぼ二○年を費やした『色彩論』全三巻を、『ファウスト』を含む自分のあらゆる著作よりも重視していた」からである(高橋義人『形態と象徴--ゲーテと「緑の自然科学」』、岩波書店、一九八八年、四頁)。それでは、なぜゲーテは科学研究にかくも熱心に取り組み、ニュートンあるいはニュートンに象徴される近代科学の方法とその成果に攻撃を加えたのだろうか?
     
    2.近代科学と機械論:帝国主義的自然観
     ゲーテの生きた時代、十八世紀中葉から十九世紀初頭は、通常、啓蒙主義の時代と呼ばれているが、より正確に言うならば、自然に関する知識も含めてあらゆる知識から神学的身分を剥奪し、知識を世俗化した「聖俗革命」を通じて、十七世紀に登場した「機械論」が強力で普遍的な原理となった時代だと言うことができよう(村上陽一郎『近代科学と聖俗革命』、新曜社、一九七六年)。ここで言う「機械論」とは、デカルト哲学に代表される自然観であり、自然現象を運動する物質の現れとして捉え、結局のところ自然を精密な機械仕掛けとみる考え方であった。たとえば、時計のように、いかに複雑な機械であっても、その裏側・内部を点検してみれば個々の部品・要

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    2つの自然観:牧歌的自然観と帝国主義的自然観
    1.科学者としてのゲーテ
     『ゲーテ全集 全一五巻』(潮出版社版)のうちの第一四巻は「自然科学論」と題されている(一九八○年刊)。そこには「科学方法論」から始まって、「形態学序説」、「植物学」、「動物学」、「地質学」、「気象学」、さらに「色彩論」などゲーテ(一七四九-一八三二年)の代表的な科学上の著作が収められており、本文だけでも二段組みで四六○頁を越えている。ドイツ文学の巨峰ゲーテは文学者であると同時に科学者でもあったのである。この事実は、もちろん多くの人の着目するところであって、ゲーテの自然科学をめぐって、すでに多くの研究がなされてきた(全集第一四巻の巻末には研究文献一覧が付されている)。また、我が国には「ゲーテ自然科学の集い」と称する研究グループがあってゲーテが創始した形態学(Morphologie) に因んで命名された『モルフォロギア』という機関誌を刊行している。
     しかし、一般にはゲーテといえば『ファウスト』や『若きヴェルターの悩み』などの作者、すなわち偉大な詩人・文学者としてのみ知られており、ゲーテが自然科学者でもあった、などと言うとおそらく奇異な感じを与えるに違いない。また、ゲーテが自然科学に関心をもっていたことが話題になったとしても、それは文学者にはあるまじき「逸脱」であるとみなされるか、せいぜいのところほほえましいエピソードとみなされる場合が多いのではあるまいか。そういうわけで、以前、東京で行われた「ゲーテ自然科学の集い」の会合にたまたま出席する機会をもった筆者は、このような会の存在それ自体やそこでの真剣で活発な討論に驚いたものであった。
     さて、ゲーテの自然科学がなぜ「逸脱」だとみなされるかと言えば、ゲーテがその『色彩論』において、『自然哲学の数学的原理』(一六八七年)によって近代科学の礎石を築いたあのニュートン(一六四二-一七二七年)の光学理論を攻撃対象にしているからである。近代科学のチャンピオンたるニュートンに楯突くとは何と無謀なことか、ゲーテは本来の文学に専念しておけばよかったのに、と言うわけである。しかし、ゲーテがニュートンを攻撃したのは、あるいはゲーテが科学研究に励んだのは、偉大な文学者の気まぐれに発するドンキホーテ的な行為だったのだろうか? もちろんそうではなかった。「事実ゲーテは、その執筆にほぼ二○年を費やした『色彩論』全三巻を、『ファウスト』を含む自分のあらゆる著作よりも重視していた」からである(高橋義人『形態と象徴--ゲーテと「緑の自然科学」』、岩波書店、一九八八年、四頁)。それでは、なぜゲーテは科学研究にかくも熱心に取り組み、ニュートンあるいはニュートンに象徴される近代科学の方法とその成果に攻撃を加えたのだろうか?
     
    2.近代科学と機械論:帝国主義的自然観
     ゲーテの生きた時代、十八世紀中葉から十九世紀初頭は、通常、啓蒙主義の時代と呼ばれているが、より正確に言うならば、自然に関する知識も含めてあらゆる知識から神学的身分を剥奪し、知識を世俗化した「聖俗革命」を通じて、十七世紀に登場した「機械論」が強力で普遍的な原理となった時代だと言うことができよう(村上陽一郎『近代科学と聖俗革命』、新曜社、一九七六年)。ここで言う「機械論」とは、デカルト哲学に代表される自然観であり、自然現象を運動する物質の現れとして捉え、結局のところ自然を精密な機械仕掛けとみる考え方であった。たとえば、時計のように、いかに複雑な機械であっても、その裏側・内部を点検してみれば個々の部品・要素の寄せ集めにすぎないことが分かる。それと同じように自然も単純な要素である根源的な物質とそれら物質相互の接触と衝突から生ずる運動の集積にすぎない。そして、機械仕掛けとして理解された自然は、通常の機械がそうであるように、人間による操作の対象となる。かくて、人間は自然を自由に操作し、そこから価値を生み出す。十七世紀の哲学者F・ベーコンの言葉「知は力なり」とはまさにこの意味だったのである。
     その結果、一見複雑な自然の事物や現象を分析して単純な要素に還元し、さらに数学的・定量的方法を駆使して現象を予測したり操作したりすることが正しい自然理解=科学的方法ということになった。このような科学観からすればニュートン力学に代表される物理学こそあるべき科学ということになる。しかしゲーテは、機械論的自然観とそれとセットになった物理学的科学観とそのチャンピオンたるニュートンに我慢がならなかったのである。もっとも、皮肉なことだが、ゲーテに不倶戴天の敵だと目されたニュートンその人は、前述の意味での「機械論」から逸脱していた。というのも、周知のように、ニュートンは相互に接触していない二つの物体の間に作用する「万有引力」をその力学の基礎に置いたからである。
     
    3.生きた自然を求めて:牧歌的自然観
     ゲーテは、ニュートンやその後継者を自認する科学者たちが自分たちの抽象的・定量的な方法を唯一絶対のものとしていることに強く反発した。ゲーテは、自然の質的側面を重視しようと務め、分析の結果「死せる自然」となり果てた自然ではなく「生きた自然」それ自体を探究しようとしたのであった。さらに言えば、ゲーテは、主体を排除することなく、人間が全体として再発見されるような科学を、すなわち「自分をとりまき、自分が一部をなす世界のダイナミックスを把え」たいと願ったのであった(P・チュイリエ「異端の主唱者ゲーテ」、『反=科学史』所収、新評論、一九八四年、一八九頁)。換言すれば、ゲーテは「対象が思惟のなかに、思惟が対象のなかに深く入り込んでいる」ような思考方法、すなわち「対象的思惟」を目指したのである。「このような思惟は自然を対象化するのではなく、逆に思惟が自然の対象にぴったり寄り添うのである」(高橋、前掲書、一五-一六頁)。
     機械論的な自然観とそれとセットになった科学のあり方に反発したのはゲーテだけではなかった。アメリカの文学者で先駆的なエコロジストとしても知られるH・D・ソロー(一八一七-一八六二年)もその一人であった。フィールド・ナチュラリストとしてのソローは「安らかな共感を込めて自然を覗き込む自然になりたい」と願いつつ、自然を観察し記述した(D・オースター『ネイチャーズ・エコノミー--エコロジー思想史』、リブロポート、一九八九年、一○七頁)。ソローの言う「自然を覗き込む自然」とはゲーテにおける「対象的思惟」に他ならないだろう。多少の時代的ずれはあるものの、大西洋を挟んで、ゲーテとソローは、ほぼ同じものを目指していたのである。アメリカの環境思想史家オースターは、ゲーテやソローの自然観を「牧歌的自然観」あるいは「ロマン主義的自然観」と呼んでいる。すなわち、牧歌的自然観とは、支配の対象として自然をみるのではなく、自然の一部としての人間は、生物界を含む自然全体との調和・共存を目指さねばならないとする生物中心主義的自然観であり、エコロジー思想の根幹を成す考え方でもある。この牧歌的自然観は、生物=有機体をモデルとして自然を捉える「有機体論」と密接不可分な関係にある。一方、前述した機械仕掛けをモデルとした機械論に立脚した自然観は、前述したように自然を支配搾取することを目指すことから「帝国主義的自然観」と呼ばれる。以上の議論を整理して、二つの自然観の特徴を次のように比較対照することができる。
                          〔表〕二つの自然観の対比
    自然観 態度 方法 モデル(世界観) 牧歌的自然観 自然との共存・共生 共感的・全体論的 自然は有機体(有機体論) 帝国主義的自然観 自然の支配・搾取 客観的・分析的 自然は機械仕掛け(機械論)
    4.2つの自然観の相克
     西欧における自然観の歴史は、この二つの自然観のせめぎあいの帰結とみることができよう。とはいえ、少なくとも、十七世紀における近代科学の成立以降は、機械論に支えられた帝国主義的自然観とそれを具現した物理学的な科学が時とともに勢いを増してきたことは明らかである。すなわち、物理学的な科学は、力学や天文学など物理学固有の領域を越えて、化学のみならず生物学・地質学にも大幅に進出したし、人間や社会を対象とする学問さえも物理学化しようと試みる人々もいる。しかも、この種の自然観と科学は、本質的に自然支配を指向しているので、技術と結びつくことによって、我々の世界や生活に圧倒的な影響を及ぼしてきた。
     しかし、帝国主義的自然観はその影響力が余りに強力なため、時には様々な行き過ぎをもたらす。たとえば、帝国主義的自然観に内包される粗野な人間中心主義や物質主義--その結果としての人間以外の生物に対する配慮を欠いた取扱いや自然の破壊。ゲーテやソローの生きた時代はいわゆる産業革命の時代でもあった。そのため、この種の行き過ぎが各所で顕在化しつつあったはずである。いや、たとえ多くの人々には感じられなかったにせよ、ゲーテやソローのような鋭敏な精神には耐えがたいものと映ったに違いない。かくて、伏流として地下にもぐっていた牧歌的自然観がゲーテやソローという思想家を通じて表面に出てきたのである。彼らの声は孤独ではあったが、帝国主義的自然観の行き過ぎの是正にいくばくかの役割を果たしたはずである。
     その後、十九世紀の後半から二○世紀の中葉にかけては、電気の利用や多種多様な化学製品の開発利用に代表されるように、科学と技術の相互作用が一層強まって、帝国主義的自然観に依拠する物質文明が謳歌され、牧歌的自然観は再び地下にもぐる。
     ...

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