宇宙のヒットメーカー
超新星残骸 かに星雲
移り変わりの激しい音楽業界で長年トップの地位を維持し続けることは,はたから見ていても大変そうである。しかも,ある一つの音楽ジャンルでその地位を保ち続けるならまだしも,さまざまなジャンルを横断してヒット連発などという例は,これまで皆無であろう。しかし,ここで紹介する「かに星雲」は,まさに,そんな宇宙のヒットメーカーなのである。 かに星雲のデビューは西暦1054年で,今から約950年前である。数十億歳という先輩がゴロゴロしているこの業界では,まさにデビューしたての新人といえるだろう。かに星雲のデビュー曲は「超新星爆発」。これは重い星が進化の果てに起こす爆発のことであり,平凡な星がこの業界で一発当てようと思えば必ず選曲する定番中の定番(?)である。これが,いきなり世界各地で大ヒットした。その様子は,中国の歴史書,アメリカ先住民の壁画,そして,我が国では『新古今和歌集』の撰者として知られる藤原定家の日記『明月記』(定家が実際に目撃したのではなく,陰陽師からの伝聞といわれている)に記録され,昼間でもその輝きが見えたとされる。ポッと出の新人にしては,これ以上ないスタートを切ったのである。 デビュー曲を当てた新人が,その後,泣かず飛ばずで苦戦する様を我々もよく目にするが,かに星雲もご多分に漏れず,しばらくは不遇の時代を過ごした。デビュー時の輝きを失い8等級にまで落ちたその姿を,肉眼で見ることはできなかったからである。しかし,人類が望遠鏡を手にしてから,事態は好転する。もちろん,デビュー当時の輝きを知るオールドファンはすでにいないのだが,その他凡百の星々とは異なるその奇抜な姿(図1)が,次第に新たなファンの注目を集め始めた。そして1771年には,天体版・歌手名鑑とでも呼ぶべきメシエカタログ(メシエさんがまとめた目立つ天体のカタログ)の第1番目に記載されるまでになった。実際は,当時のトップスターの彗星を探す際に邪魔な天体としてカタログ化されたわけだが,知名度が高かったことには違いない。そしていよいよ,自分自身で新たなジャンルを次々と開拓し,ヒットメーカーとして確固たる地位を築いていくのが第二次世界大戦後である。
図1 可視光で見た,かに星雲の姿。 爆発する前の星の外層(赤)と,パルサーから吹き出す高エネルギー電子(青)が複雑に絡み合っている。 パルサーは図の中心にあるが,見た目にはほかの普通の星と区別できない。(ヨーロッパ南天天文台提供)
それまで天体からの光は,太陽がそうであるように,物が熱せられたときに放出されると考えられていた。熱せられた物質からの光は,その振動方向がてんでバラバラである。ところが,かに星雲からの光をよくよく調べてみると,その振動方向が一つにそろっていた。これは,エネルギーの高い電子が磁場で曲げられたときに出すシンクロトロン放射の性質である。こうして,かに星雲はそれまでになかった「(太陽を除く)宇宙シンクロトロン放射」というジャンルを切り開き,業界で一躍脚光を浴びる存在となった。 そうこうしている間に,業界ではパルサーというニュースターが誕生する。パルサーとは周期的な光を発する天体の種類であり,当初は宇宙人からの信号かとも騒がれた。このタイミングを見計らっていたかのように,かに星雲もその奇抜な衣裳の下にこのパルサーを隠し持っていたことを公表した。かにパルサーは1秒間に30回という高速のリズムを刻んでいる。そこから,パルサーの正体が「高速で自転している,中性子星という超高密度の星」だと判明した。しかも,自身のデビュー曲である「超新星爆発」をここでリバイバルし,「中性子星は重い星の爆発の際に中心部が圧縮されてできる」というところまで一気に明らかにしてしまった。こうして,かに星雲は今度は「中性子星物理学」というジャンルを確立したのである。 このように,かに星雲は新ジャンルを開拓しつつヒットを飛ばしてきたわけだが,それと同時に,従来の光の天文学以外の,電波・X線・ガンマ線天文学という新しいファン層の拡大にも努めてきた(図2)。とりわけ,その安定した強度とスペクトル故に,X線・ガンマ線の分野では観測器の評価に使う「基準光源」としても高い人気を誇っている。
図2 X線で見た,かに星雲の姿。 可視光で見えた星の外層が見えない代わりに,パルサーと高エネルギーの電子の分布が明瞭に見える。 図1との縮尺の違いに注意。(両図の右下の矢印が同じ長さを表している)
次は,どんなジャンルで,どんな新曲を出すのだろうか。次回作のリリースが楽しみである。
(ISASニュース 2005年6月 No.291掲載)
資料提供先→ http://www.isas.jaxa.jp/j/column/famous/07.shtml