ゴッホと日本近代文学
1.はじめに
画家フィンセント・ヴァン・ゴッホの名が日本に伝わってからはや100年になろうとしている。絵画が高額で企業に買い取られるなど、現在の日本では一番有名な画家の一人と言っても過言ではない。では、ゴッホが日本に入ってきた当時はどうだったのであろうか。本レポートでは、日本におけるゴッホ受容のあり方を日本近代文学、主に雑誌『白樺』とその周辺への影響から考察するものである。
2.ゴッホと『白樺』
ゴッホが日本で最初に紹介されたのは、雑誌「スバル」1910年5月号に連載されていた「むく鳥通信」の中においてであった。筆者は森鴎外である。このコラムはヨーロッパのニュースで目に付いたものを取り上げるという体裁をとっており、鴎外は当時パリで話題となっていたいくつかの画家の名前と共にゴッホの名を挙げたに過ぎず、鴎外がこの後ゴッホ受容史において顔を出すことはない。一方、同じ年、斎藤与里は雑誌『白樺』11月号のロダン特集においてゴッホを取り上げ、ゴッホの描いたミレーの模写について「其の位ゐ形式に囚はれずに内部に立ち入らなければ、生きた藝術は生れて来様筈がない」と賞賛している。...