『幼児の造形遊びの教育的意義を述べると共に、その指導のあり方について、項目を立てて述べなさい』
教育の新たな時代を迎え、子どもを中心とした教育への転換が強く主張されているが、毎日のように報道される少年犯罪や学級崩壊、授業内容の削減による学力低下の問題など、教育に対する不安が益々大きくなっており、子どもが自ら学び、問題を解決し、行動できる資質や能力を育てる“生きる力”の育成や、感性や創造性など人間として生きていくことができる心や能力を育てる教育のあり方が求められている。造形遊びは、都市化した環境の中で、遊び場や遊ぶ時間、遊ぶ仲間を失った子ども達にとって直接体験を通した主体的な活動として学習に組み入れられた。これは新しい教育への転換という面から見ても重要な意味をもっている。ともすると消極的で自主性の乏しい子ども達に、生き生きとした造形遊び体験を通して、あらゆる感覚を生かした造形能力や、柔軟な思考力や創造力、自主性や社会性など、子ども自身が自分の資質や能力を自由に働かせながら、人生の基盤となる素地を形成していくことが造形遊びのねらいであった。子どもの造形活動は、生活や遊びの中から始まる。雨あがりの水たまりに靴でちょっと触りながら足に感じるぬるっとした感触に快感をおぼえ、おもわず手で触ってしまい泥んこ遊びが始まる。そこでは「汚れるな」「こんなことをしたら叱られるかな」などの思いは消え、ためらわずに泥をつかみヌルヌルした感触に酔いしれて無心に遊んでしまうなんて事は良くある。
幼稚園教育要領の感性と表現に関する領域「表現」は、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通じて、豊かな感性や表現する力を養い、想像力を豊かにする」とされ、ねらいを次の3項目に置いている。
①いろいろなものの美しさなどに対する豊かな感性を持つ。
②感じたことや考えたことを自分なりに表現して楽しむ。
③生活の中でイメージを豊かにし、様々な表現を楽しむ。
誰に強制されたのでもない、自分の感じたことを素直に表現することの重要性をこの領域の狙いから読み取ることができる。幼児の絵の価値は、絵の上手下手ではなく、自分の受けたイメージをどのように表現し、伝達していくかというところにある。幼児の造形表現は、子どもの全人格的な自己表現活動である。幼児は、自己の感情や思考に応じて、自由に夢を描き、ものをつくり、道具や材料を操作して、自己の感情や思考を率直に実現しようとしているのである。したがって、子どもが生活の中で生き生きと感じ取っている様々な事柄、発見や経験、驚きや感動、楽しさや喜び等が素直に自己表現されるための手だてが必要となってくる。その為には、幼児の心理的・精神的傾向を理解して、その発達段階や人格的構造をつかんで指導・保育に当たらなければならない。幼児理解なくして幼児の造形教育はスタートしないのである。幼児の一般的な傾向として、3つの項目に分ける。
①細かな運動感覚は、まだ十分に発達していない…幼児の自由な表現活動を育てるためには、むしろ体全体を使って行うような表現、例えば、濃い目に溶いた絵の具と太筆で、大きな紙一杯に描かせる。また、大きな紙袋やナイロン袋を膨らませて、魚や動物の形に見立てて制作したり、大きな段ボールによる造形遊びをするというような、大きく自由度の高い活動が出来る表現活動を設定してやることが大切である。このような幼児の実態に応じた場と環境設定や材料用具の選択が求められるのであり、大人の思い込みで、小さな紙に小さな絵の具で済ませるようなことはないようにしたい。
②思考や感情の変化が激しく、緊張時間が長く続かない…幼児は極めて活動的で、少しの時間もじっとしていられない。ひとつのことに注意し続けたり、緊張し続けることができないのでは、幼児にとって至極当然のことである。造形表現の活動は、そのような発達の激しい変化の中にあって、彼らの夢や想いを具体化し、実現していく活動である。幼児は、次々と浮かび上がる新しい考えや興味に従って、常に大きく揺れ動き、持続時間も短く、経験や活動の変化を絶えず要求されている中で、主観的な心の姿を、その場で視覚化し、目に見える世界に具体化しているのである。それだけに、材料的にも題材的にも、短時間に幼児の要求を満たし、思う存分にその時々の感情表現が自由に出来るよう配慮する必要がある。描画材料としては、基本に的には、柔らかくて伸びの良い太巻きパスや水彩絵の具、墨汁などが適切である。製作についても絵画と同じように、大木材料で扱いやすく、表現に長時間かからないような、幼児の心理的特色に即した材料が求められているのである。
③主観と客観、想像と現実の未分化…幼児は主観的な想像の世界と、客観的な現実の世界とが、未だはっきりと文化しきっていない。想像の世界で、このようにあってほしいと思い願っていることが、現実にあったことのように思えたり、また、現実の客観性な事柄が空想の世界に飛び込んでも、違和感を全く感じないのがこの時期の特徴である。このような時期において、空想的な想像の世界を否定する事なく、想像は想像としてますます発展させ、現実は現実として確立し、しかも、現実と想像の間に有機的な関連を持って、主体的な想像生活から、次第に客観的な現実生活へと移っていくことが大切である。この時期に、十分に想像を楽しみ表現する活動(表現行動)を体験し、想像力と表現力を育てておくことが、後に洞察力・判断力・思考力といった現実認識の知的な能力と結びつき、やがて、人を思いやる心、行動の結果を予測する力、豊かな感性、創造性思考の能力の獲得に繋がるのである。
先にも述べた通り、幼稚園教育要領では、観点を幼児の側面からとらえ、「感性を育てる」「表現する意欲」「創造性を豊かにする」に置いている。つまり、教師の役目は指導的な指示を行うことではなく、環境・場というものを整え、幼児自身が主体的に活動のテーマや方法を見付けていけられるような支援を行うことにある。人間は本来、考えたり、感じたり、経験したことを何らかの形で表そうとする欲求を持っている。その表現は身体的な表現であったり、言語による表現であったり、創造的な表現であったりする。表現方法は年齢と共に知能が発達することで変化し、また多様化する。自分の気持ちが相手に通じることで、幼児は満足感・充実感を覚え、「豊かな感性をもつ」「自分なりに表現して楽しむ」「イメージを豊かにし、様々な表現を楽しむ」といった主体性を育むことに繋がっていくのである。幼児期は人間のもっている諸能力を総合的に発揮するところに価値を置くのであり、教師は、絵が技術的にうまいからといって、それがそのまま上に伸びなくていい、態度として、生き方として、その子どもの人格の中に入り、それがいろんな形で出てくれば良いと考えながら、働きかけを行っていかなければならない。幼児が絵を描いたり、ものをつくるという活動は、基本的欲求の満足に向かうものである。生得的に持っているこの衝動を利用し、作品を作り上げることを主眼におくのではなく、自ら見いだした価値を創造的に実現していくという経験の積み重ねによって、幼児が持つ無限大の可能性をより引き出し、人格全体を創造的に発展させることが、この時期に求められる教育的意義といえる。
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