教育史科目最終試験

閲覧数2,453
ダウンロード数35
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員2,200円 | 非会員2,640円

    資料紹介

    わが国、中世における寺入りについて述べよ

    寺入りとは、子どもが読み書きを受けるために児となって寺院に入ることを「寺入り」という。
    寺院は小学・村学・村校などと呼ばれ「学校」とすら称され、打ち続く争乱と相俟って、前代に栄えた大学寮・国学などの教育機関が衰微していたころから、ほとんど当代唯一の教育機関として機能していた。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    わが国、中世における寺入りについて述べよ
    寺入りとは、子どもが読み書きを受けるために児となって寺院に入ることを「寺入り」という。
    寺院は小学・村学・村校などと呼ばれ「学校」とすら称され、打ち続く争乱と相俟って、前代に栄えた大学寮・国学などの教育機関が衰微していたころから、ほとんど当代唯一の教育機関として機能していた。
    この寺入りは10歳頃までに登山して13.14歳頃得度しないものは、下山しおよそ7年ほどの修学するのが例であった。しかし厳密にはこう決まっていたのではなく、実際には13歳で入寺する場合や16歳で下山する例もあった。そして最小限3年は学習すべきものであり、しかもその間は、寺院に寄宿するのが習慣であった。幼少の子どもの寄宿生活であったので、親たちは時々子どもの様子を見に行ったり、家に呼び寄せたりしたのである。
    このように寺入りの少年は、寺院に寄宿し、一定期間学習したのであるがその日課として、午前6時~8時まで看経、午前10時~12時まで手習、12時~午後2時まで読書、午後4時~6時まで諸芸、午後6時~8時まで文学・音楽、午後8時~10時まで放課と定められていた。
    7、8歳までは...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。