韓国経済史
1 アジア経済発展期
1985年9月、G5(先進5ヶ国財務省・中央銀行総裁会議)において「プラザ合意」が結ばれた。これはアメリカの膨らみすぎた貿易赤字を解消するため先進5ヶ国(アメリカ・日本・イギリス・ドイツ・フランス)が協調して為替レートをドル安に誘導していくという取り決めであり、結果として円-ドルの為替相場は継続的に円高ドル安に動き続けることとなった。このため日本国内の輸出企業は業績を大幅に落とすこととなり、生き残りをかけた各社はアジア諸国への工場移転を急速に進めた。これには日本企業とアジア諸国の双方にメリットがあり、日本企業側から見ると人件費の安いアジア諸国に工場を造ることでコストを抑えることができ、また円高という背景があるため価値が高まった円を使うことで以前よりも割安に(少ない円貨で)工場を建設することができた。対して発展途上国のアジア諸国にとって、日本企業の工場建設は現地での雇用を生みだし、失業率の低下に貢献し、また現地での技術移転が進むことで国全体の技術水準の向上にも繋がることとなった。そして、このプラザ合意からはじまった外的要因とは別に、アジア諸国がとった高金...