・王維の人物像と作品の概要を述べよ。
※試験対策用の6題解答案です。2009年度問題。それぞれ600~800字程度です。ご参考ください。なお不足な箇所があれば補足してください。
字は摩詰、太原の人。母の崔氏は仏教をあつく信仰し、その教えは王維にも及び、後世、王維は詩仏と呼ばれるようになる。王維は幼少より詩・画・書・音楽の才を発揮、十五才で長安に出ると、たちまち社交界の人気者となり、貴人達の家に出入りした。二十一才で進士に及第し、宮廷詩人として名をなした。その一方、自然を愛し、四十三才の時、藍田山のふもとに輞川荘という別荘を求め、しばしばそこに遊んで友人達と閑適の時を過ごしている。とりわけ裴迪と唱和した「輞川二十景」の連作は有名である。五十七才の時に安禄山の乱にあい、脅迫されて叛軍の政府に仕えたため、平定後その罪を問われたが、弟王縉らのとりなしなどにより、官を下げられただけですんだ。以後はますます仏道修行にはげみ、官も尚書右丞に至った。この最後の官により、王右丞とも呼ぶ。
王維は宮廷詩人として六朝以来の華麗な作風を示す一方、自然詠にも新境地を開き、孟浩然らと並称される。王維の詩については...