20文字×30行×2ページ=1200文字以内で書きあげています。本レポートは自分で挙げた課題に対する自分独自のレポートですので、特に評価などはありません。他の私がアップロードしたレポートの文章能力判断材料として頂ければ幸いです。
精神障害者に対するイメージとはどのようなものか述べよ。
統合失調症、うつ病、解離性同一性障害など精神疾患を患う方々は、私たちの身の周りにたくさん存在する。しかし、身体障害者や知的障害者のように目に見える障害を抱えているわけではないため、その障害の有無などの判断に困る時がある。例えば、統合失調症を抱える精神障害者も調子が良いときは、ほとんど私たち健常者と呼ばれる人と何ら変わりはない。そういった目に見える“障害”が確認できないために、精神障害者に対する偏見や差別がなくならないと考えられる。
記憶に新しい秋葉原や大阪府池田小学校での無差別殺人事件に代表される犯人や事件を起こした被疑者に対して、必ず精神鑑定が行われている。勿論、その事件を起こすことができるか否かの責任能力を問う意味で、精神鑑定を行うのであるが、この精神鑑定に対してマスメディアなどが過剰に反応しすぎている感が否めないと私は感じる。確かに責任能力の有無を判断する材料としての精神鑑定は必要であるが、結果として、精神鑑定だけが強調されて“精神障害者=悪”というイメージだけが、観る者に植え付けられてしまっている。このイメージが植え付けられてしまう原因として、精神障害者に対する正しい知識や理解が培われていない点が挙げられる。身体障害者や知的障害者との関わりは、少しずつではあるが幼児教育の現場からも増え始めている。私自身も小中学校時代に特別支援学級が併設されていた学校に通っていたため、身体・知的障害者(児)に対して、あまり拒否感はなかった。しかし、精神障害者との関わりはほとんどなかったため、その障害についても障害者に対しても正しい理解をすることが出来ず、つい先日まで「こわい」というイメージでしかなかった。そのイメージを払しょくしたきっかけは、精神障害者の方々と直に触れ合ったり、コミュニケーションを図ったり、その方々の社会を知ったりする機会があったからである。
身体、知的、精神など障害の種別に区別なく、障害を理解するためには単純に知識を習得するだけではなく、如何にその本人と接するかで変わると考えられる。私の知人にも未だ障害者に対する偏見を持つ者がいるが、それは彼が今まで障害者と接する機会が全くなかったことに起因している。現在、福祉教育という形で小学校、中学校、高等学校で福祉の教科が増えている。しかし、勉学で得られた知識だけでは真に障害者を理解することはできない。自分の身で体験してこそ、初めて得られる知識や理解が多いのである。
前述にもあるが、身体・知的障害者(児)との触れ合いは増えてきている。であるからこそ、今後は精神障害者への正しい知識と理解を幼少から培うためにも触れ合う機会を持つべきである。単に「こわい」というイメージを皆で持ち続けるのではなく、理解できるような体験などを今後充実していけるよう働きかけが必要なのである。
Original Report
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