前漢の武帝がとった対外政策と政治・経済・社会的背景
秦末の混乱の中で力を伸ばした農民出身の劉邦は、楚の名門出身の項羽を破り、前202年に中国を統一して前漢王朝をたてた。劉邦は都を長安に定め、秦が郡県制を強行して失敗したのをみて、郡県制と封建制を併用した郡国制をしいた。しかし、その後の皇帝たちは諸侯の権力をうばい、それに抵抗する呉楚七国の乱が平定されると、実質的に郡県制とかわらぬ中央集権体制が確立された。前2世紀後半の武帝は積極的な対外政策をとり、大軍を送って北アジアに存在した強大な遊牧民族・匈奴を北方に退けた。このとき、武帝は匈奴をはさみ討ちにしようとして、張騫を大月氏に派遣した。その計画は失...