連関資料 :: 「児童の権利に関する条約」制定の背景と意義

資料:16件

  • 児童権利に関する条約制定背景とその意義について
  •  「子どもとは小さな大人である」という児童観が、1800年ごろまでは主流であった。では、今日の世界はどうだろうか。これまで、「子どもは未熟であり、保護が必要である」という観点から、児童を保護や教育の対象としてのみとらえる「児童観」が大勢を占めていた。そこに「児童の権利に関する条約」が制定された。この条約では、児童を単なる「保護の対象」から「権利行使の主体」へと「児童観」を転換することを求めている。では、本当にこの条約の理念は守られているのだろうか。本当にこの条約が児童を守るのに適しているのだろうか。児童に関する権利条約が発足、制定されていくまでを順を追いながら検証してみたい。  1800年代までは前世説と呼ばれる、「子どもは小さなおとな」という児童観が定説であった。子どもとおとなの間には、何も違いはなく、子どもはおとなのひな形であるという内容である。そのため、14世紀ごろまでは子どもを絵で表す際には、体のプロポーションや、顔の特徴は背丈の低いおとなとして描かれていた。
  • レポート 福祉学 児童の権利 ジョン・ロック 世界人権宣言 コルチャック
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  • 児童権利に関する条約制定背景とその意義
  • 近年、子どもの人権侵害が目立ち、子どもを1人の人間として扱っていないように思える。そのため子どもを1人の人間として尊重する思想が強調されるようになった。しかしその歴史は浅く、まだまだ不十分である。 また子どもの権利は、子どもたち自身が勝ち得たものではない。それは子どもが非主張者であり、非生産者であることによる。年少の時期にあるほど、自らの意図を主張する手段に乏しく、たとえ主張することができる年齢や発達段階になっても、その影響力は非常に限られている。そして子どもは将来の生産力としてその社会を担うことが期待される存在ではあるが、まだ自立からは遠く、保護を必要とする時期、つまり生産よりも消費が主となる時期であり、他者に依存せざるを得ない。 歴史的にみると、このような子どもの特徴を成人側が理解し、この特徴のために子どもが弱者戸して止まらざるを得ない背景の中で、成人側で子どもの権利を尊重する思想、つまり子どもが身分や階層に関わらず、尊重されるべきであるという思想がみられるようになった。この思想は、18世紀の教育思想家ルソーによって強く明確に主張された。ルソーは、児童を単に大人を小さくしたものではなく、1人の人間としてその価値や人権を認めることの重要性を説いた。
  • レポート 福祉学 児童の権利宣言 ジュネーブ宣言 児童の権利に関する条約
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ
  • 「『児童の権利に関する条約』制定の背景と意義について述べよ。」 〈条約制定の背景〉  第2次世界大戦後、世界の平和維持を目的として組織された国際連合は、国際連合憲章(国連憲章)を成立させた。この国連憲章第68条に基づいて、人権委員会が設置され、この委員会によって「世界人権宣言」が作成され、1948年12月10日、第3回国際連合総会において満場一致で採択された。前文と30か条から構成されるこの宣言は、人権の無視および軽侮が人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらしたとして、国際社会における人権の普遍的な保障に関してすべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、公布された。  初めて子どもの権利が、国際的に宣言されたのは、第一次世界大戦後である。いつの時代も、戦争や暴力、差別や貧困などは、子どもに犠牲を強いるのだが、この戦争によって、特に戦場化したヨーロッパの子どもたちは悲惨な状況下にあった。この事態に対して、1924年国際連盟において「児童の権利に関するジュネーヴ宣言(ジュネーヴ宣言)」が採択され、子どもの権利に関して、初めて国際的な承認を得ることになった。  子ども固有の宣言として、「ジュネーヴ宣言」を基礎に新たな原則を追加して「児童権利宣言」が、1959年11月24日第14回国連総会において採択された。この「児童権利宣言」は、前文と10か条から構成されている。  この宣言は、子どもの権利にかかわる豊かな内容を含み、重要な課題を提起しているが、その児童観は、未熟な存在であり、権利を自ら行使する能力を持たない、それゆえに保護され教育されなければならない存在というものである。また、国際的宣言は、国際的にその存在が承認された道徳的規範を示してはいるが、条約のもつ、国家間、あるいは国家と国際組織間の文章による法的合意とは異なり、拘束力を持っていない。そこで、「児童権利宣言」20周年を記念して「国際児童年」が定められた1979年に、ポーランドから児童の権利条約起草案が国連の人権委員会に提出された。この草案は、ユダヤ系ポーランド人のヤヌシュ・コルチャックにあると言われている。ポーランドは、第2次世界大戦で同国の子どもたち約200万人がホロコーストなどによって命を失った国で子どもの権利保障に熱心であった。  1979年にポーランドによる起草提案が提出されて以来、さまざまな国情から討論が重ねられ10年の歳月を経て、児童の権利の具体的内容明記、そして拘束力を備えての条約という形をとって国連総会で採択されたのが、1989年11月20日である。そして、20カ国の批准により1990年9月2日より発効することとなった。  「児童の権利に関する条約」は以上のような背景のもとに、条約という強い拘束力を持つ形で誕生したのである。 〈児童の権利に関する条約の内容について〉  1989年11月20日、児童の権利に関する条約(Convention on the Rights of the Child)として、国連総会第44会期で採択された。  採択された条約は、13段におよぶ前文と、3部構成の54条からなる。  ユニセフ関係者によれば、この条約で規定された子どもの権利は、3つのPである。すなわち、「所有あるいは利用に関する権利(provision)」、「保護に関する権利(protection)」、「参加に関する権利(participation)」である。  この条約の最大の特徴は、従来ほとんど重視されてこなかった、参加あるいは能動的権利など、子どもの市民権および政治権にス
  • 人権 子ども 小学校 戦争 児童 学校 国際 権利 地域
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ
  • 近年、児童虐待など子どもの権利を侵害する問題が浮上しており、子どもを一人の人間として尊重する子どもの権利観についてとりわけ問題視されている。しかし、子どもの権利は歴史的に浅いものである。  18世紀の教育思想家ルソーは、子どもが身分や階級などに関わりなく尊重されるべき存在であるという思想を主張した。しかし、法律の制定まで及ぶことはなかった。法律の制定に影響を与えたのは、20世紀初頭にE.ケイが20世紀を「児童の世紀」にしようと主唱し、児童の権利が最大限に尊重される社会を築くように提唱してからである。例えば、1909年にルーズベルト大統領によって開催され、要保護児童問題などが論じられ採択された白亜館会議宣言などである。  しかし、第一次世界大戦が勃発し、多くの児童が惨禍の犠牲となった。二度と同じような痛ましいことを起こさないようにと国際連盟が結成され、1924年に「児童の権利に関するジュネーブ宣言」が採択された。これは、国際的機関が採択した世界初の児童権利宣言であり、「人類は児童に対し、最善のものを与えるべき義務を負う」と明言された点は極めて重要である。  わが国においても、1947年に「児童福祉法」、1951年には、基本的ニーズの内容や児童福祉の理念構造の理想を盛り込んだ「児童憲章」が採択されている。これらの法律と憲章は、当時では国際的にも画期的なものであった。  「ジュネーブ宣言」の思想は1959年に国際連合が成立させた「児童の権利に関する宣言」に受け継がれている。この宣言は、児童を権利の主体として捉えている点が最大の特徴である。この宣言を踏まえ、国連のポーランド代表が法的な拘束力をもった条約にしようと提案し、1989年国連総会において「児童の権利に関する条約」(以下、条約)が採択されたのである。
  • レポート 福祉学 児童の権利に関する条約 児童の権利に関する宣言 ジュネーブ宣言 国際児童年 児童福祉法
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ
  • 「児童の権利に関する条約制定の背景と意義について述べよ」 「児童の権利に関する条約」は、1924年「児童の権利に関するジュネーブ宣言」、1959年「児童の権利宣言」を受けて、1989年11月20日に、世界の子どもたちを守るために国連総会において採択され成立した。基本的な権利が子どもにも保障されるべきことを、国際的に定めた条約であり、「児童の権利に関する条約」は、「子どもの権利条約」とも呼ばれている。現在では、192の国と地域が締結している。    児童の権利に関する条約は、前文と本文の54カ条から成り立つものである。①子どもの生存、②子どもの保護、③子どもの健全な発達、④子どもの社会的な活動などへの参加の4つ権利を保障することを定め、これらの権利がいかなる差別もなしに尊重され、確保されるように規定している。子どもにとって最善なことは何かということを、考えなければならないとうたっているのである。 4つの保障の内容は次のようなものである。①子どもの生存の保障は、防げる病気などで命を奪われないこと、病気やけがをしたら治療を受けられることなど。②子どもの保護の保障は、あらゆる種類の虐待や搾取などから守られること、障害のある子どもや少数民族の子どもなどは特別に守られることなど。③健全な発達の保障は、教育を受け、休んだり遊んだりできること、考えや信じることの自由が守られ、自分らしく育つことができることなど。④社会的な活動などへの参加の保障は、自由に意見を表したり、集まってグループを作ったり自由な活動を行ったりできることなどである。 本文の54カ条の中には、子どもの「情報へのアクセス権」を定めた第17条や、子どもの「性的搾取からの保護」を定めた第34条などが含まれている。 児童の権利に関する条約は、歴史の最も広くおよび急速に批准された人権条約である。日本は、1990年9月21日に109番目で署名し、1994年4月22日に158番目の批准国になった。この有名な協定を批准していない国もある。ソマリアおよびアメリカ合衆国のたった2つの国である。ソマリアは、国の情勢からやむを得ず、現在も批准に進むことができていない。アメリカ合衆国は、条約に1995年2月16日に署名したが、いまだ批准していない。国連総会は、アメリカ合衆国という大国が早急に批准することを切望している。 しかし、児童の権利に関する条約が制定された、現代の児童をめぐる状況はどのようなものなのか。  近年、武力紛争に子どもが強制的に巻き込まれることが増加している。実際に、武器を持たされて前線に駆り出されたり、後方で物資輸送に従事させられたり、女の子の場合は大人の兵士の性的搾取の対象とされている例もある。このような、18歳未満の子どもの兵士は、現在世界で30万人もいると言われている。子どもは脅しやすく、命令によく従うため兵士として使いやすく、消耗品とみなされることが少なくない。しかし、紛争が行なわれている各国では、子どもが兵士となり軍隊に加わることが、食糧や保護を手に入れるための唯一の手段となる場合もある。家族の死に対して報復しようという理由などから戦うことを自ら望む子どもたちもいる。しかし、体力的にも経験的にも、大人に劣る子どもたちは犠牲になることも多い。また、暴力が日常の一部であった子どもは、心に深い傷を受け、紛争が終わった後でもその傷を癒すことは容易ではない。このような、子どもの兵士をなくすためには、徴兵・徴募と戦闘への参加の最低年齢を引き上げることを、児童の権利条約に採択すること、子どもたちを兵士に徴
  • 児童福祉論 児童 権利 条約
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ。
  • 「児童の権利に関する条約」制定の背景と意義について述べよ。 1.はじめに 近年、インターネットの普及に伴い、児童のわいせつな画像がネット上に流出し児童が、犯罪に巻き込まれている件数が増えているのである。そして、2005年にわが国は、「児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書」を批准し、日本は90番目の締約国となった。 この同議定書は、インターネットの普及に伴う児童ポルノの横行などを背景に、「児童の権利に関する条約」とは独立して、性的な搾取から子どもを守るためのより詳しい規定を定めたもので、2000年5月に国連総会で採択されたものである。 2.条約制定の経緯  現在、全ての子どもは守られる存在であり、国の違い、男女、宗教などによって差別されず、平等にひとりの人間としてその価値や人権を認める国際的な合意がされている。しかしこのような「児童の人権」が位置づけされ、本格的な条約が制定されるのは、第二次世界大戦後のことであり、その歴史は浅いのである。 ①児童の権利に関する歴史  紀元前の古代社会では、子どもは「労働力」であり交換の対象として大人の所有物であった
  • 歴史 日本 福祉 人権 子ども インターネット 社会 児童 権利
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ
  •  近年、児童の人権についてとりわけ問題視されている。それは、児童虐待などの問題が浮上し、テレビなどのマスコミで取り上げられているからである。しかし、児童の権利はまだ歴史的に浅く、まだ歩みは始まったばかりだ。  最初に、子どもが身分や階級などに関わりなく尊重されるべき存在であるという思想は、18世紀の教育思想家ルソーによって主張された。その内容は、児童を成人が小さいものと捕らえず、一人の人間として尊重し、その価値や人権を認めることの重要性を説いたものだった。しかし、法律の制定までには遠く及ばなかった。法律の制定に影響を与えたのは、20世紀初頭のエレン・ケイが20世紀を「児童の世紀」にしようと提唱し、児童の権利が最大限に尊重される社会を築くよう強調してからである。例えば1909年のアメリカのルーズベルト大統領によって開催され、採択された白亜館会議宣言などである。  しかし、1914年に第1次世界大戦が勃発し、多くの子どもの命が犠牲になった。このことから、国際連盟が結成され、1924年に「児童の権利に関するジュネーブ宣言」が採択された。これは、国際的機関が採択した世界初の児童権利宣言である。宣言の前文には「全ての国の男女は、人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」と明言されており、この観点はやがて「児童の権利宣言」に受け継がれた。この「児童の権利宣言」とは1959年に国際連盟が成立させた宣言である。この宣言は、社会的弱者である児童の人権の保障を可能にするための措置や配慮だけでなく、児童を権利の主体としてとらえる姿勢が特徴的である。しかし、これは宣言であって強制力はない。そのことから、国連のポーランド代表が拘束力のある法律として採択しようとの提案があり、1989年国連総会において「児童の権利に関する条約」が全会一致で採択されたのである。
  • レポート 福祉学 児童の権利に関する条約 日本の児童の権利 児童権利
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ。
  • 『児童の権利に関する条約』制定の背景と意義について述べよ。 児童の権利について、一つ有名な話がある。アメリカで、親から虐待を受けていた子どもに対して使われた法律が、動物に使用されるものだったのである。通常ならば、子どもは人間であるので動物への法律などは考えられない。特に、現役世代では児童の権利がきちんと制定されているので想像もつかないであろう。しかし、当時アメリカには子どもを守る条約・法律が制定されていなかった為、仕方がなかったのだ。今となっては子どもの人権は守られて当然なのである。  子どもの権利を保障する歩みは全くまだ新しい。20世紀の初頭に、スウェーデンの女流思想家エレン・ケイが20世紀を<児童の世紀>とすることを提唱し、児童の権利が最大限に尊重される社会を築くよう強調して以来、それは徐々に具体化されてきた。例えば1909年のアメリカにおける第1回児童福祉白亜館会議の開催、1922年のドイツにおけるワイマール憲法の下での「児童法」の制定、同年のイギリスにおける児童救済基金団体による「世界児童憲章草案」の提示がある。エレン・ケイにより具体化されてきたが、1914年に第一次世界大戦が始まり、多くの子どもたちが犠牲になった。こうしたことから、二度とこのような痛ましいことを起こすことがないようにと採択されたのが、1924年の「児童の権利に関するジュネーブ宣言」である。これは国際的機関が採択した世界初の児童権利宣言である。全文は、心身の正常な発達保障、要保護児童の援助、危機時の児童最優先の援助、自活支援・搾取からの保護、児童の育成目標の5項目で構成されている。宣言の前文で「全ての国の男女は、人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」と明言されている点は極めて重要である。この観点はやがて「児童の権利宣言」に受け継がれた。  平和への祈りもむなしく、1941年、再び戦争が引き起こされた。この大戦で児童の被害は大きく、1300万人の児童が死亡したと言われている。  そして1945年、永遠の平和を確保しようと国際連合が結成され、1946年から児童の権利に関する憲章の作成が開始され、1959年には「児童の権利に関する宣言」が成立した。しかし、宣言は宣言以上の何ものでもないことから、その後検討が重ねられ、1989年、国連総会において「児童の権利に関する条約」が全会一致で採択されたのである。  条約は、前文と、子どもの権利に関する具体的規定で構成される41条の第1部、条約の普及、実施に関わる手続き規定で構成される4条からなる第2部、並びに署名、批准等に関わる手続き規定で構成される9条からなる第3部、計54条で構成されている。前文には、「児童の調和のとれた発達のため」条約を定めたと、その趣旨が述べられている。1条から5条までには、子どもの定義、差別の禁止、子どもの最善の利益の第一次的な考慮締約国の実施義務、親の指導の尊重が挙げられている。6条からは、生命への権利や親を知りかつ親に育てられる権利などの子ども固有の権利、自由に意思表明する権利や思想の自由など市民的権利、生活水準や教育への権利、更に、経済的搾取や有害労働、麻薬や性的搾取・虐待からの保護、そして少年司法にいたるまで規定の内容は広範囲に及ぶ。  この条約は、憲法を除くほかの法律に優越するものであり、国内の法律や規則と条約の間に矛盾が生じた場合には条約が優先される。  また、子どもの権利には「受動的権利」と「能動的権利」がある。子どもであるが故に、義務を負う側からの保護や援助を受けることによって効力を
  • レポート 福祉学 児童の権利に関する条約 福祉 人権
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ。
  • 近年、児童虐待や育児放棄など児童の権利を侵害する問題が目立ち、児童の人権尊重が叫ばれている。歴史的に見ると、この「児童の人権」というものが認められてきたのはごく最近であるが、それまで児童とはどのような存在であったのだろうか。児童が人権を持ち個人として尊重されるべきものであることが明確に記された「児童の権利に関する条約」制定の経緯からそれを探り、「児童の権利」とはどのようなものであるのかを考えた。  この条約が制定された背景には、身体的・精神的に未熟であり社会的弱者である児童が、「保護されるべき存在」として十分に尊重されてこなかったという痛ましい事実がある。中世ヨーロッパにおける「子どもは小さな成人である」� �いう古典的児童観においては、児童は「子ども」としての未熟で保護されるべき期間を認められず、大人に対し大きなハンディキャップを背負いながら生きることを強いられていた。児童が「子ども」として尊重され、そして保護されるべきであるという考え方は、18世紀フランスの教育思想家ジャン=ジャック・ルソーによって初めて示された。さらにスウェーデンの社会思想家エレン・ケイが20世紀を「児童の世紀」とすることを主唱し、児童の権利獲得に献身していた頃から、この考え方は法律や政治にも影響を与えるようになった。たとえば1909年のアメリカ、ルーズベルト大統領による第一回児童福祉白亜館会議の開催などが有名である。
  • 福祉 日本 人権 児童 子ども 社会 権利 児童福祉論
  • 550 販売中 2011/08/02
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  • 児童権利に関する条約制定背景意義について述べよ。
  • 「児童の権利に関する条約」制定の背景と意義について述べよ。 1、条約制定の背景 今現在の全ての子どもは最も守られなければならない存在であり、ひとりの人間としてその価値や人権を認められている。しかしこのような位置づけをされていたのは昔からではなく、本格的に条約などが作られていったのは第二次世界大戦後であり、まだ歴史が浅いのである。更に色々な困難があったのである。  18世紀の教育思想家ルソーは、子どもが身分や階級などに関わりなく尊重されるべき存在であるという思想を主張した。しかし、法律の制定まで及ぶことはなかった。法律の制定に影響を与えたのは、20世紀初頭にE.ケイが20世紀を「児童の世紀」にしようと主唱し、児童の権利が最大限に尊重される社会を築くように提唱してからである。例えば、1909年にルーズベルト大統領によって開催され、要保護児童問題などが論じられ採択された白亜館会議宣言などである。  しかし、第一次世界大戦が勃発し、多くの児童が惨禍の犠牲となった。二度と同じような痛ましいことを起こさないようにと国際連盟が結成され、1924年に「児童の権利に関するジュネーブ宣言」が採択された。これは、国際的機関が採択した世界初の児童権利宣言であり、「人類は児童に対し、最善のものを与えるべき義務を負う」と明言された点は極めて重要である。 「ジュネーブ宣言」の思想は1959年に国際連合が成立させた「児童の権利に関する宣言」に受け継がれている。この宣言は、児童を権利の主体として捉えている点が最大の特徴である。この宣言を踏まえ、国連のポーランド代表が法的な拘束力をもった条約にしようと提案し、1989年国連総会において「児童の権利に関する条約」(以下、条約)が採択されたのである。「児童の権利に関する宣言」20周年記念として、児童の基本的人権の認識を新たにした「国際児童年」から10年間の歳月をかけて、検討を重ねられた条約である。 2、条約の内容 条約の内容は大きく、①児童の生存・保護・発達に関するもの、②児童の最善の利益、親の第一次的養育責任等児童の特性に配慮したもの、③児童の意見表明、思想・良心の自由等成人と同様の権利を認めるもの、の三つに類型化される。児童の受動的権利を認めた上で、児童を権利行使の主体としている点において画期的なものであった。  この同条約は、子どもであるが故必要とされる子どもの「権利保障」、そして子どもは人間であるという前提に立つ「人権保障」の二つの側面が含まれている。  「権利保障」とは、子どもであるが故に、義務を負う側からの保護や援助を受けることによって効力をもつ権利である。これは、子どもは非主張者、非生産者の特徴を持っており、成人と比べ絶対的なハンディキャップを負っているからからである。それによって子どもが健全な生活を維持し発達するためには、親や大人、社会及び国家などの育てる側が子どもを見守り、保護する義務が発生するのである。この観点から、子どもは権利を受容する主体であると考え、受動的権利とも呼ばれる。  「人権保障」とは、人間として主張し行使する自由を得る権利のことである。これは、子どもを保護するという受動的権利の保障が、かえって子どもを弱者とする観念に囚われ、本来子どもにも保障されるべき基本的人権、特に自由や幸福の追求が主体的に獲得される重要性を見失わせていたことを補うものである。このような視点から、子どもは権利を受容する主体であるだけでなく、権利を行使する主体であるとし、能動的権利とも呼ばれる。子どもを保護され救済される客体として認識
  • レポート 福祉学 児童の権利に関する宣言 ジュネーブ宣言 権利保障
  • 550 販売中 2007/09/22
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