1.はじめに 「金融危機」の深刻な衝撃がまたたく間に世界的な広がりを見せている。記録的な円高株安や信用不安として日本経済の根幹を揺るがしその影響はついに私たちの日常生活を脅かすまでに至っている。今回はその金融危機を経済学的側面から分析し、その原因を中心にまとめてみたいと思う。
2.今何が起きているのか サブプライムショックに端を発した米証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻は2008年9月15日であった。アメリカ発の金融危機は瞬時にして国際金融市場を駆け巡り世界経済に与えた衝撃は「1929年の世界恐慌」に対比されその動揺が津波のように全世界を襲っている。久しくグローバル経済を牽引してきたアメリカの「金融資本主義」に今何が起きているのか。世界経済はこれからどうなるのか。日本はこれにどう向かい合うべきか。そして何よりその原因は那辺にあるのか考察を巡らした。 サブプライムローン問題は日本が経験した土地バブルに類似していて比喩的にいえば今後の地球経済は成長神話期から定常運行期に移行すると考えられる。米国主導になる世界経済のシナリオによれば金融工学とリスク管理の知見を駆使してハイリスクハイリターンの金融商品を中心とする金融ビジネスモデルを開発運用して経済成長の恩恵を全世界に分かち与えてきた。しかし証券化商品の価値下落に伴う信用収縮により資金繰りが行詰まり金融市場が機能不全に陥った。そこで各国の金融当局は実体経済をも巻き込んだ負のスパイラルが深刻化する事態を回避すべく金融機関への資本注入などの公的支援対策を急いでいる。
3.どこに原因があるのか 金融ききことの原因は次の3項目に分けて考える事ができる。
(1)職業倫理の問題: ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という。”高い身分にある者にはそれなりの義務が伴う”が本来の意味であるが、これには皮肉も込められている。倫理は規範や道徳の根源をなし社会秩序の最後の拠り所である。関係者の職位人選に倫理要因が配慮されたか。これは性善説の立場である。一方の制度設計は性悪説が前提となる。理論・制度・政策・運用すべてが人間の営為であるからには健全な倫理感なくして経済社会は有効に機能しない。組織と人の関係についてグリーンスパン前議長の場合について考えてみる。 (2)経済理論の問題: 今日における世界経済は大筋においてケインズ体系に準拠している。このもとでのマクロ経済運営は財政政策主導か金融政策主導かに二分される。前者はサムエルソンを旗頭とするケインジアン派であり後者はフリードマンを宗主とするマネタリスト派で両者は対立的拮抗関係にある。金融危機に対するサムエルソン教授の見解を下敷きにしてケインズ理論に遡り根本問題の摘出を試みる。 (3)資本主義の問題: 資本主義を定義する場合に反立として社会主義が定式化される。両者は財の所有形態と調整原理の組み合わせから定まる。しかし時代の要請である環境問題や南北問題さらには格差是正などに関しては両者共に無力である。かといって過去を否定しても未来は開けないので、ここでは現行の資本主義を次の展開から捉えて考察を加えたい。①商業資本主義 ②産業資本主義 ③金融資本主義 ④知識資本主義とすれば金融危機は③から④への移行に伴う過渡現象と理解できる。ちなみに1929年の世界恐慌は②から③への移行期に対応する。 4.職業倫理の問題:グリーンスパン前議長の場合を考える (1)金融政策で過ち犯した: グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は2008年10月23日、下院公聴会で行われた議会証言の質疑応答で、金融機関への規制・監督について「過ちを犯した」と述べて、自らの在任期間中の政策運営について誤りがあったことを初めて認めた。グリーンスパン前議長はこれまで「低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)問題を予見することはできず、当時の政策に誤りはなかった」と繰り返し述べていた。 グリーンスパン前議長は、2006年1月まで18年余の議長在任中は「マエストロ(巨匠)」と呼ばれ、政策手腕を高く評価されてきたが、サブプライム問題に伴う市場の混乱長期化で、当時の低金利政策や規制の甘さに対する批判が強まっていた。下院政府改革委員会のワックスマン委員長(民主党)が「FRBはサブプライム絡みの融資過熱を止める権限を持ちながら行使しなかったのではないか」と問いただしたのに対し、グリーンスパン前議長は「金融機関に自社の利益を追求させることが、結果的に株主保護につながると考えていた。今振り返れば過ちだった」と述べた。 また、デリバティブ(金融派生商品)の一種「クレジット・デフォルト・スワップ」(CDS)の取引を規制しなかったことについても「一部、間違いがあった」と認めた。CDSは、企業向け融資や証券化商品が焦げ付いた際に損失を肩代わりする商品。今年6月末時点の取引残高が世界で54兆6000億ドル(約5300兆円)にのぼっており、米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻以降の金融市場混乱の一因を見られている。 (出所:http://mainichi.jp/life/money/news/20081024k0000e020018000c.html)
(2)欲望と倫理のバランス: グリーンスパン前議長はマネタリストの経済学者として1987年から2006年までの18年間にわたりレーガン大統領以降4代の大統領のもとで第13代連邦準備制度(FRB:アメリカの中央銀行)議長の地位にあった。この期間は米国経済の黄金時代と重なり合って彼の手腕は「金融の神様」と各方面から絶賛された。しかし今回の金融危機以降は前項のように金融関係の最高責任者として戦犯扱いされている。同じ人間がなぜ一朝にして神様から戦犯になるのか。60年前になるが極東国際軍事裁判を巡る顛末について鮮明に記憶している世代の一人として世の毀誉褒貶の激しさに驚くばかりである。つまりグリーンスパン前議長は金融界の代表者として名前を挙げたまででこれから先は人間一般の性向に還元して話を進めたい。 人間の欲望には限りがない。しかしその欲望を充足させる手段には限りがある。ここから欲望と手段の間に対立関係が生じこれを経済問題という。これを解消し持続的かつ平和的に調和させるために経済秩序が解明・維持される必要がある。これは「希少性の原理」による経済学の立場である。両者間の葛藤をなだめる方法として古来「知足安分」が説かれる。しかし誰もこれを強要できないので最後は倫理意識の問題に帰着する。デカルトは『方法序説』[参考資料(5)]の冒頭で”良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである”と述べている。良識(bon sens)は「正しい分別」や「理性」と訳されるが筆者は「徳」「良心」あるいは「倫理観」を指すと解釈している。人間はそれなりの善悪判断はできても欲望や誘惑にはやはり弱い。人格に土台を与える教育に知育・徳育・体育・美育にわたる均衡が求められる。
(3)マネタリストと新自由主義: 現代経済学は大筋において「図c10 経済学の流れ」最右欄に示すように財政政策派(ケインジアン)主導か金融政策派(マネタリスト)主導かの対立的選択関係のもとで運営されている。両派の理論的争点は経済過程を巡る貨幣観の相違にある。マネタリストは集計需要決定における貨幣供給の優位を強調する。これを単純化すれば「通貨管理に専念してその外は自由市場に任せよ」と主張する。一方のケインジアンは貨幣以外にも政府支出、税金、輸出額などからなる財政政策が経済現象に影響するという。両者は最終的には「小さな政府」か「大きな政府」かの政策選択に帰する。 ケインズは貨幣数量説から出発して流動性選好説に至りその考え方はIS-LM分析として整理される。一方、フリードマンに代表されるマネタリストの主張は流動性選好説を取り入れた貨幣数量説である。つまり経済成長に合わせてインフレーションを制御しながら貨幣供給を増やす。貨幣供給を増やせば利子率は下落し投資や産出量は増加し所得も上昇する。何れにしても両者は共通の限界理論から出発して結局はケインズ理論の図式に収まる。金融危機の原因は両者の差異から論じられるが事の内実は理論モデル自体の陳腐化にあると見るべきである。
5.経済理論の問題:サムエルソン教授の見解を下敷きにして ポール・サムエルソン教授に関しては多言無用であろう。現在、齢93歳にしてなお矍鑠かつ舌鋒鋭い指摘[参考資料(1)]には脱帽のほかない。見出しによれば「規制緩和と金融工学が元凶」とある。「赤字いとわぬ財政支出不可欠」「米政治、民主党主導へ転換必至」と続く。記事の内容にはあえて踏み込まない。何故なら彼の業績や著作から類推される思想と記事の内容が完全に一致しているからである。したがってここでは彼の『サムエルソン経済学上下』[参考資料(2)]から関係部分を引用のうえ参照したい。 ケインズ体系の要諦(図c35)つまりサムエルソン経済学の中心命題は『サムエルソン経済学』下p737「第31-1図一般均衡的価格付けが、経済全体について〈何を〉〈いかに〉そして〈誰のために〉を決定する」に集約されている。同図は「図c30 市場経済の仕組み(現行経済モデル)」の市場部分に「図c32 価格決定機構」を組み込んだ表現となっている。ところが、この現行経済モデルは閉鎖系2部門モデルであり現実を説明していない。これが電脳経済学の基本的な立場である。その幾つかの根拠の中から次の2点を取り上げたい。その1は土地・労働・資本からなる生産要素が”生産要素市場...