みたけ交流新聞
(ザイヤニンジュ)年中今
到寛保三癸亥凡得(ミズノ
トイオオヨソウル)九百余
名鉄顔戸駅すぐ南、林の 歳」この「在世仁寿年中」
中に「在原黄門行平卿之墳」 とは、奈良の大仏が作られ
と正面に刻まれてた墓碑が た 天 平 時 代 よ り 約 百年程
ある。行平の頭書「黄門」 下った平安時代初期で九百
とは中納言という官位の異 年余後の江戸時代の寛保三
称で、国府の役職では按擦 年にこの墓碑が建立された
使 を も 兼 ね て も い たので ことが読み取れる。左側面
「正三位」の位を賜ってい には「顔戸村念仏講中建之
る。右側面には「在世仁寿 為」と建立者名が刻まれて
御
御嵩
嵩探
探訪
訪
http://mitake.ccmsns.cc
御嵩町地域づくり助成事業
091201D(第6号)
御嵩住民交流新聞
御嵩住民交流新聞
御嵩住民交流新聞
御嵩住民交流新聞
御嵩住民交流新聞
御嵩住民交流新聞
大倉晴男)
大倉晴男)
大倉晴男)
(代表:
大倉晴男)
(代表:大倉晴男)
大倉晴男)
(代表:
(代表:
9192-8948
電話
0909192-8948
電話
090電話
9192-8948
9192-8948
9192-8948
電話 090090-9192-8948
電話
090電話
090-
力】
力】
力】
力】
力】
力】
【協
【協
【協
【協
【協
【協
●古田印刷
●古田印刷
●古田印刷
●古田印刷
●NPO法人協働共生
●NPO法人協働共生
●NPO法人協働共生
●NPO法人協働共生
●NPO法人協働共生
●NPO法人協働共生
のまちづくり
のまちづくり
のまちづくり
のまちづくり
のまちづくり
のまちづくり
いる。
「立ち別れ いなばの山の
峰に生ふる 松とし聞か
ば いざかえりなむ」古今
集は離別歌の最初に上げら
れており、この歌は異母弟
の在原業平の歌と共に百人
一首にも選ばれている。八
五六年因幡の守に任ぜられ
た行平が役終わって帰国す
る時の詠歌で、親しい人と
の別れを惜しんだ歌だと解
されている。また赴任する
時に都に残した人に贈った
という説もあり、相手は特
定の人ではなく土地に別れ
を告げたとも考えられる。
いなばの山は、神話「いな
ばの白うさぎ」の因幡で、
現在の鳥取市国府(旧石見
郡国府町)となっている。
この歌は「いなば」に至な
ばを「松」に待つが掛けら
れた技巧的な歌で、弟の業
平と共に和歌に長けた兄弟
】
】
【発行主体
【発行主体
【発行主体
】
】
】
【発行主体】
【発行主体
【発行主体
といえる。行平は古今集に
はもう一歌「わくらばにと
う人あらば 須磨の浦
藻塩たれつつ わぶと答
えよ」第五十五代文徳天皇
時代なんらかの事件に関わ
り須磨の浦へ流罪となり三
ヶ年を過ごしている。「わ
くらば」とは病葉の文字を
充て、青葉に雑る黄色く変
色した葉を表している。「藻
塩たれつつ」とはこの時代
の塩作りは、海草に掛け乾
燥後火で燃して塩を集める
方法で、海草より塩水が滴
る様を悔し涙または懺悔の
涙にたとえ行平の歌らしく
末の行を「我と答えよ」も
しくは「詫びて答えよ」と
結び、これ等の言葉の組み
合わせにより複数の解釈が
出 来 る よ う に 詠 ま れてい
る。行平は不遇の三ヵ年の
間に漁師の仕事である塩作
りに携わって土地の海女と
も親しくなっている。松風・
村雨この二人の海女姉妹と
の 関 わ り に つ い て 能では
「松風戯れの舞」古典では
「須磨物語」そして舞踊で
は「汐汲」とそれぞれに異
なった名称が付けられ親し
まれている。三年前この墓
碑の程近くには、東海環状
の可児御嵩インターが開設
された。御嵩町の重要文化
財に指定されているこの墓
碑の所在地は、名鉄電車の
車窓より望むことが出来ま
すので、この機会に古今集
と共に名鉄存続に関心を賜
れば幸いと願っています。
(投稿 奥村正広)