精神保健福祉論
精神保健福祉の歴史は精神障害者に対する人権侵害との闘いの歴史だと言っても過言ではない。特に明治以降、その存在が国の富国強兵を主軸とする発展に関して、治安維持上を含めた障害になると考えられ、排除・隔離政策が国家によって行われてきた。事実、明治33年に制定された精神病者監護法においては私宅監置を認め、隔離目的の「座敷牢」が存在した。また、それに関して警察への届出も義務付けられていた。
戦後、GHQの指導のもと昭和25年に精神衛生法が施行されたが、基本的には措置入院や同意入院などに関する手続き法であったことは言うまでもない。更に昭和39年に起きたライシャワー事件が原因となり、翌年の法改正内容もその原案が目的としていた「社会復帰関連施策」も完全に色あせてしまい、反対に社会防衛色の強い法律になってしまった。また、同時期、民間の精神科病院建設に対して長期低利融資制度が実行され、その結果、収容を目的とされる病床数が昭和44年には約25万床にまでふくれ上がってしまった。
こうした隔離・収容を目的とする様々な施策が原因で、精神科病院の中で多くの人権侵害事件が発生した。栗岡病院事件(大阪)、栗田病院事件(...