秦の天下統一の意義
⇒北方民族が周を圧迫し、前770年に周が洛陽に遷都してから東周時代が始まる。東周時代は晋が韓・魏・趙の3つに分裂するまでの春秋時代とその後から秦が中華を統一するまでの戦国時代に分けられる。この時代には分裂から統一に向かう時代であり、周の権威の衰えを背景として多数の封建諸侯らが少数の国家に統合されていったのである。それは官僚制の発展をもたらし中国的専制国家を生み出す契機ともなった。また、現在の漢文化の基礎が形成された時期とも言える。
周の東遷後、諸侯は争いを繰り返し強者が弱者を併合していった。混乱の周辺民族も動きも活発になり、これに対抗するため有力者が覇者となり同盟を作った。斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王夫差、越王勾践、を一般的には春秋の五覇と呼んでいる。春秋時代には覇者が諸侯を呼び集める際、周王の名の下にそれを行なっていた。周王室の権威は保たれていたのである。しかし、戦国時代になると周王室の権威は全く無くなり、周は数ある諸侯の中の一つに過ぎなくなる。春秋時代の始めにあった百数十あった諸侯は春秋末には十数になり戦国時代には7国となった。
戦国時代と春秋時代...