「エホバの証人」輸血拒否事件

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    資料の原本内容

    【ID番号】 05230087
           損害賠償請求事件
    【事件番号】 東京地方裁判所判決/平成5年(ワ)第10624号
    【判決日付】 平成9年3月12日
    【判示事項】 一 医師が患者との間で、輸血以外に救命方法がない事態を生ずる可能性がある手術をする場合に、いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することはそれが宗教的信条に基づくものであったとしても、公序良俗に反して無効であるとされた事例
           二 手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば輸血をするとまで明言しない対応が医師の救命義務に照らして直ちに違法性があるとはいえず、この場合の違法性は、患者と医師の関係、患者の信条、患者及びその家族の行動、患者の病状、手術の内容、医師の治療方針、医師の患者及びその家族に対する説明等の諸般の事情を総合考慮して判断するべきものとして、判示の事情の下では違法性が否定された事例
           三 輸血を拒絶する意思を有する者に対して、医師が救命のためにやむを得ないと判断して実施した輸血行為が社会的に正当な行為として違法性が否定された事例
    【参照条文】 民法90
           民法415
           憲法13
           民法709
           民法720
           刑法35
    【参考文献】 訟務月報44巻3号315頁
           判例タイムズ964号82頁
    【評釈論文】 訟務月報44巻3号16頁
           訟務月報44巻3号79頁
           判例タイムズ955号97頁
           法学教室202号122頁        主   文 一 原告の請求をいずれも棄却する。 二 訴訟費用は原告の負担とする。        理   由 第一 請求 一 被告らは、原告に対し、連帯して、金一二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日(被告国、被告B、被告C、被告D、被告E及び被告Fにつき平成五年七月一六日、被告人につき同月一七日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 請求の原因 一 原告は、昭和四年一月五日生まれの主婦であり、昭和三八年からエホバの証人の信者である。 (当事者間に争いがない。) 二 エホバの証人は、キリスト教の宗教団体で、聖書に、「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(創世紀九章三、四節)、「ただ、血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。血は魂であり、魂を肉と共に食べてはならないからである。それを食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出すべきである。それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行うことによって、あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである。」(申命記一二章二三節ないし二五節)、「というのは、聖霊とわたしたちとは、次の必要な事柄のほかは、あなた方にその上何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち、偶像を犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください。」(使徒たちの活動一五章二八、二九節)等、「血を避けなさい。」という言葉が何度も出てくるが、これは、エホバ神が人間に対し血を避けることを指示していると考え、人間は、血を避けることによって身体的にも精神的、霊的にも健康であると確信している。従って、エホバの証人の信者は、ひとたび体の外に出た血を体内に取り入れることは医学的な方法によってもできない、即ち、輸血を受けることはできないとの信念を有している。 (甲第三、四号証及び弁論の全趣旨により、エホバの証人の信条が右のとおりであることが認められる。) 三 被告国は、東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研」という。)を設置し運営しており、平成四年当時、被告A(以下「被告A」という。)、被告B、被告C、被告D(以下「被告D」という。)、被告E(以下「被告E」という。)及び被告F(以下、右六名を「被告医師ら」という。)は、医科研に医師として勤務していた。 (当事者間に争いがない。) 四 原告は、平成四年七月二八日、医科研で受診し、同年八月一八日、医科研に入院し、同年九月一四日、被告国との間で、原告の肝臓右葉付近に存する腫瘍の摘出手術(以下「本件手術」という。)を主たる治療内容とする診療契約を締結した。 (原告が同年七月二八日医科研で受診し、同年八月一八日医科研に入院した事実は当事者間に争いがないから、本件手術を主たる治療内容とする診療契約は、同年七月二八日に締結されたものと解せられる。なお、同年九月一四日は、原告が本件手術に確定的に同意した日であると解せられる。) 五 被告医師らは、平成四年九月一七日、医科研において本件手術を行ない、その際、原告に対し、輸血(乙第一号証によれば、濃厚赤血球及び新鮮凍結血漿各一二〇〇ミリリットルであることが認められる。以下「本件輸血」という。)がされた。 (当事者間に争いがない。) 六 よって、原告は、被告国に対しては、本件手術を主たる治療内容とする診療契約の締結に際して付された手術中いかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約に反して、被告国の履行補助者である被告医師らが原告に対し本件輸血をした債務不履行に基づく損害賠償として、被告医師らに対しては、手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの意思に従うかのように振る舞って原告に本件手術を受けさせ、本件輸血をしたことにより、原告の自己決定権及び信教上の良心を侵害した不法行為に基づく損害賠償として、また、被告国に対しては、被告医師らの右不法行為についての使用者責任に基づく損害賠償として、いずれも慰藉料一〇〇〇万円及び弁護士費用二〇〇万円の合計一二〇〇万円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。 第三 争点 一 原告と被告国は、本件手術を主たる治療内容とする診療契約の締結に際し、手術中いかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約を合意したか。 (原告の主張)  平成四年九月一四日、原告は、被告国との間で、本件手術を主たる治療内容とする診療契約を締結した。その際、(1)いかなる事態に至っても、被告医師らは原告に輸血をしない、(2)原告は、輸血をしなかっために生ずるいかなる結果についても、被告らの責任を問わないとする特約を合意した。  原告が肝臓の悪性腫瘍とどのように対峙し、これをどのように克服していくかは、最終的には原告自身が選択すべき問題であって、その治療法として外科的治療を選択しながら、信仰上の教義によって輸血を拒否したとしても、何ら公序良俗に反するものではない。原告は決して死を望んでいたわけではなく、生への強い希望を持っていたからこそ、治療を願って各病院を訪ね治療(輸血という手段は用いないという条件付)を依頼したのであって、死は、エホバの証人の教義が命ずる到達点であるわけではなく、教義を忠実に守った結果生ずるかも知れない副作用に過ぎない。輸血という医療の一手段にすぎないものを受け入れないことが人命軽視とされるなら、手術により救命が可能と思われる患者が手術に応じないことや、化学療法による健康の改善が期待される患者がその治療を拒むことも同様に人命軽視と呼ばざるを得ない。原告の輸血拒否や輸血をしないことの合意は、患者が自分の人生をどのように送るかについての信念の表明(患者本人の生き方の問題)及び患者の生きざまや生命の質を理解した医師との合意であって、医の倫理に悖ることはない。 (被告らの主張)  被告医師らは、原告に対して、本件手術の際にいかなる事態になっても原告に輸血をしない特約を合意した事実はない。原告が医科研の医師や看護婦に免責証書を交付したり、いかなることがあっても輸血をしないで欲しい旨を伝えていたとしても、これらは、原告が一方的な希望を伝えたにすぎない。免責証書の内容は、原告の立場からする要望ないしは信念の表明であって、このような書面を受け取った事実だけで人間の命にかかわり、かつ医師としての倫理上の責任、場合によっては刑事責任を問われかねない事項に関して、被告医師ら、ひいては被告国が原告の右要望ないしは信念を受け入れた、すなわち原告と被告国との間で原告の主張する特約が黙示的に合意されたと評価することはできない。  手術に伴う多量の出血などにより患者の生命の危険が現実化し、輸血以外に救命の手段がない事態に至った場合には、医師が自ら手術を開始している以上、先行行為により生じた結果を回避するべき作為義務を負うことになるため、医師が手をこまねいていることは、不作為による自殺幇助の罪、場合によっては不作為による殺人罪に問擬されかねない事態であって、医師に対し、このような現行法秩序において犯罪と評価されるような行為を行わせることを目的とする特約は、公序良俗に反することは明らかである。もとより信教の自由は、内心の自由にとどまる限り絶対的に保障されているが、他者の法益と衝突する場合には信教の自由といえども制限に服するのであり、医師に対し契約上の義務として現行法秩序において犯罪と評価され得るような行為を行うことを強制することまで正当化することはできない。手術中に、輸血しなければ救命の策がない事...

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