連関資料 :: 日本史

資料:380件

  • 日本概説 分冊2
  • 一 一六一五年、徳川家康は豊臣家を滅ぼし、幕府の勢力を磐石のものとした。幕府が次に着手したのは朝廷対策であり、発布されたのが「禁中並公家諸法度」であった。この法令により、公家・親王などの席次、三公・僧侶の任免・昇進、武家の官位や改元に至るまで、朝廷の決定には幕府の意向に従うこと権威になる。さらに京都に京都所司代が置かれ、これにより天皇の行動は常に幕府に監視され、外部との接触を大きく制限されることになる。これは幕府が、朝廷の持つ伝統的な権威を反幕府勢力に利用されることを極度に警戒したからである。その後も折りに触れて幕府は朝廷の行動になにかと干渉していくことになった。この「禁中並公家諸法度」が制定される二年前、一六一一年に即位したのが後水尾天皇であった。その後、後水尾天皇に家康の孫娘で将軍秀忠の娘である和子の入内問題が降りかかり、この政略結婚が利用されたのは、一六二〇年のことであった。 一六二七年、朝廷が臨済宗や浄土宗の僧侶に与えていた紫衣を幕府が「勅許紫衣法度」違反だとしてこれを剥奪し、これに抗議した者たちを流罪に処すといういわゆる「紫衣事件」が起こった。天皇にとっては面目丸つぶれの事件
  • 日本大学 通信 分冊2 日本史概説 日本史概論
  • 2,200 販売中 2008/02/11
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  • 日本経済〜江戸時代の農業〜
  •  17世紀初頭の後進地帯の大土地保有者の家では、親方百姓を中心として複合大家族という家族形態をとり、その複合大家族の構成員を労働力に組み入れる手作経営を行っていた。譜代下人、すなわち一生涯を通じて主家に人身的に隷属して、世襲的に労役を提供した奉公人のことで、生活を保障してもらう代わりに恒常的な労働要員として手作経営の重要な労働力の担い手であった。  譜代下人は親方百姓の家に住み、大きくなっていく。そして適齢期になると、親方百姓の取りまとめによって譜代下人同士の結婚ができる。結婚した下人夫婦は、親方百姓の母屋を出て、近くの小屋に移り住んでいた。母屋から小屋に移り住んでも、下人夫婦は依然親方百姓の家族の一員であり、生活上の依存度もあまり変わらなかった。譜代下人が結婚して家を持つとともに、親方百姓から土地を与えられるようになった。ただし、条件として賦役を提供することであった。こうして結婚を機に親方百姓の母屋から別居を許された譜代下人夫婦は親方百姓からの土地を与えてもらうことで、本家・分家関係が形成されていった。
  • レポート 史学 江戸時代 農業 手作経営 本家 分家
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  • 日本文学第2設題
  • 2016年版佛教大学日本文学史第2設題のレポートです。A判定をもらいました。 明治、大正、昭和の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の各文学思潮を例にして具体的に説明せよ。 〈写実主義・擬古典主義・浪漫主義・自然主義・余裕派(高踏派)・耽美派・白樺派・新思潮派・プロレタリア文学・モダニズムの文学〉
  • 佛教大学 日本文学史 A判定
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  • 日本・北欧関係に関する一考察
  •  日本・北欧関係史は五つの時代区分に分けられる。  第一期は江戸時代初期から第二次世界大戦までを指す。両地域の政治関係は、オランダ商館に滞在していたコイエットやトウンベリの存在や、また大黒屋光太夫や津太夫などの北欧を訪れた日本人漂流民の存在に始まった。明治初期には岩倉使節団がヨーロッパに派遣されているが、彼らは訪欧中にデンマーク・スウェーデンなどの北欧諸国も訪問し、その国家としての成熟度に注目している。こうして日本とつながりのあった北欧であるが、明治を経て近代国家化していく過程で日本は大国イギリスやアメリカなどをモデルに掲げ北欧からしだいに離れていくことになり、第二次世界大戦が始まるとついに国交断絶に至ってしまう。では、この第一期に日本の抱いていた北欧のイメージはいかなるものであったか。そこには分裂した二つの分裂した二つのイメージが存在していた。一つは一般日本国民が抱いていた理想主義的イメージである。内村鑑三などは戦争に敗北しながら軍事国家に屈せず国力を回復したデンマークを称え、平和的な北欧のイメージを世に広めた。もう一つのイメージは政策決定者達の持っていた現実主義的イメージである。これは北欧がその地理的位置から、日露戦争や第二次世界大戦時に日本の諜報活動の拠点となったためであった。 こうした日本−北欧の関係史を見てみて、北欧がいかに日本に色々な影響を与えてきたかを初めて実感した。しかし五つの時代区分を追っていく過程で、長い間日本にとっての北欧とはヴェール越しに見た、実態の掴めない地域だったように感じる。それは時代区分によって日本が抱く北欧のイメージが180度転換したりするためである。現在私が見る限り、これほど親しみやすく、かつこれから自国の政策を考えていく過程でこれほど興味を惹く地域はないのではないだろうか、と思う。私自身そうであるが、もっと日本人一般が北欧に対して積極的に、多角的にアプローチしてみるべきではなかろうか。
  • レポート 国際関係学 北欧 日本外交史 日本・北欧関係
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  • 日本②A 課題1
  • 合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。 課題 「古代国家の成立から院政の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。 魏志倭人伝・邪馬台国・大宝律令・摂関政治・院政」 (インターネット上の東洋大学シラバスより引用) 参考文献 家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年 鎌田元一『律令国家史の研究』 塙書房、2008年 吉田孝『日本の誕生』岩波新書、1997年 吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、1983年
  • 東洋大学 通信教育課程 日本文学文化学科 日本史 レポート
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