日本史 第1設題 「鎌倉幕府と執権政治について」

閲覧数6,118
ダウンロード数44
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    「鎌倉幕府と執権政治について」
    鎌倉幕府は源頼朝によって開かれた日本最初の武家政権である。武家政権とは今まで天皇が政権をとっていたものとは違い、武士が政治を行うことである。鎌倉幕府が成立した年については源頼朝が征夷大将軍に任命された建久三年(一一九二年)という見方が強かったが、実際はそれ以前から幕府の仕組みが整っており、壇ノ浦で平氏が滅亡した寿永四年(一一八五年)を始まりとする見方も強い。平氏の滅亡後、頼朝は弟の義経との不和から、義経追捕の院宣を発布させた。そして義経追捕を理由として、一国ごとに有力御家人を国の総地頭と総追捕使に任命し、諸国の平家木棺領や某反人の旧領の荘園・公領に地頭を置いた。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「鎌倉幕府と執権政治について」
    鎌倉幕府は源頼朝によって開かれた日本最初の武家政権である。武家政権とは今まで天皇が政権をとっていたものとは違い、武士が政治を行うことである。鎌倉幕府が成立した年については源頼朝が征夷大将軍に任命された建久三年(一一九二年)という見方が強かったが、実際はそれ以前から幕府の仕組みが整っており、壇ノ浦で平氏が滅亡した寿永四年(一一八五年)を始まりとする見方も強い。平氏の滅亡後、頼朝は弟の義経との不和から、義経追捕の院宣を発布させた。そして義経追捕を理由として、一国ごとに有力御家人を国の総地頭と総追捕使に任命し、諸国の平家木棺領や某反人の旧領の荘園・公領に地頭を置いた。この守護・地頭の設置は武家政権としての基礎を強化するものであった。
    さらに東国独立国家が成立した治承四年(一一八〇年)を始まりとする説や朝廷から頼朝に東国支配権を公認した寿永二年十月宣旨を幕府成立とする寿永二年(一一八三年)説、さらには頼朝が上洛し諸国守護権を認められて、権大納言・右近衛の大将に任じられた建久(一一九〇年)を成立とする見方もある。幕府成立の年代については様々な論議がある。
     鎌倉幕...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。