戦後教育制度は基本的人権としての「教育を受ける権利」の保障と「教育の機会均等」の実現を目指してきた。しかしながら、現在の日本において、目指されていた「権利としての教育」が十分に保障され、「教育の機会均等」が実現されているのだろうか。
日本における近代的学校制度は、1872年の学制によって始まった。その理念を説明した「学事奨励に関する被仰出書」においては、個人のための教育および実学的教育を強調し、すべての国民に教育の機会を開く考えが示されていた。その後大日本帝国憲法の制定および教育勅語の制定によって、学校教育は天皇絶対主義への教化へと変貌していったといえる。
教育勅語の中に「一旦緩急アレハ義勇公に奉シ」とあるように、いざという時には天皇のために命をささげる臣民をつくるためのものであり、戦前の教育は現在のように教育を受ける権利というものを保障しているのではなく、天皇の臣民として教育を受ける義務として存在していたといえる。
戦後は戦前の反省を生かし、平和で民主的な国家を建設ために日本国憲法が制定され、その憲法の理想を具体化するたに教育として教育基本法が制定された。国民主権、基本的人権、平...