清朝における金石学・碑学の発展について、および帖と碑学の違いと問題点
一六四四年、満州族が建国した清王朝は漢人文化を尊重し、自らこれに同化する策をとった。書の世界では、まず名跡の模本や法帖によって書を学ぶ帖学が主流をなし、ついで漢、唐の碑石の拓本を範とする碑学が潮流となった。
清時代の書は、帖学派と碑学派に大別することができる。帖学派とは、明時代の末から清時代の初めにかけて盛行した書学習の方途に関する学派で、清時代に入っておこった碑学派に対している。宋時代に『淳化閣帖』が集成されて以来、数々の法帖が集成されたが、帖学派は、これら法帖の研究を通じて、書法を学習することを主眼においた。碑学派は、嘉慶・道光期(一七九六~一八五〇)以降に盛んとなった学派で、主に漢・魏から北朝に及ぶ石刻の書法を学ぶことによって、従来にない新たな書風を創出した。
清朝では巧みな文化政策を行い、言論統制を敷くとともに、実証主義的な学問を奨励した。元・明時期には金石学が衰退したが、清朝において再び発展した。確実な資料に基づき、事実を客観的に考証する清朝考証学の発展に伴って、書道界にも金石学が起こり、従来の法帖中心から、碑石や金文に注目が移り、三代(夏・殷・周)、秦、漢、六朝の古法の研究...