「1930年代の対中国外交」
~危機と戦争の間で~
はじめに
1930年代の日本の外交を決定的に方向づけたのは、言うまでもなく満州事変である。ではなぜ満州事変は起きたのか?それを一言で軍部を抑えることが出来なかったと片付ける事はできない。満州事変の前年には、政党内閣が軍部の反対を押し切って、ロンドン軍縮会議を結んでいる。また天皇の支持は政党内閣側にあった。斬新的民主化課程の中で、軍部も組織としての利益を守るためには、政党勢力との協調が必要であったはずである。しかし、満州事変は実際におこったのである。
本レポートでは、柳条湖事件以降の対中国外交を考察し、満州事変が日本の外交に与えた影響及び全面戦争にいたるまでの外交力学を分析していく。
1、協調外交への挑戦
①満州事変
満州事変のきっかけとなったのは、関東軍による1931年9月18日の柳条湖事件注1である。当時の第二次若槻内閣は不拡大方針であり、この事件は、幣原外相にも南次郎陸相にも不意打ちの事件であった。直ちに戦線の拡大を禁じたが、21日朝鮮軍は独断で満州へ出兵した。幣原は一連の事件を対外的にクーデターと統帥権の干犯問題とし...