地元の「津久井の組紐」について実家から歩いて15分のところにある田倉製紐工場を訪ねて、田倉歳宝(たくらとしたか)さんにお話を伺った。
まずつくられた背景だが、組紐のルーツとしては古代にさかのぼるようである。遣唐使などによる中国との交流の中で仏具の中に取り付けられて日本に入ってきたという(女性の三つ編みから始まった、という説もあるそうである。)そして律令時代には官位の紐として用いられ、戦国時代には茶入れの紐としても使われた(誰にもまねできないような独自の結び方をあみ出して毒物混入など防いだようである。)また、江戸時代には和服が定着し、帯止めなどに利用された。それと全般的に武士の時代には、刀や鎧、兜にも組紐によって飾られている部分がある。
しかし、津久井の組紐はこれらのものとは若干性格が異なっている。今、挙げてきたものは、どれも手組みによるものだが、津久井のものは明治時代に殖産興業政策の一環としてヨーロッパから導入された機械組みという手法である。大正10年に津久井町鳥屋(とや)出身の佐藤時太郎が東京に組紐工場を創業し、事業の発展と共に多くの津久井の人達が工場やその取引先に働きに出て、帰...