紀伊國屋書店は英語圏を目指す
2008年8月紀伊国屋書店は、中東産油国アラブ首長国連邦(UAE)に出店する 。場所は「開発のテーマパーク」と呼ばれるドバイ。規模は1800坪。新宿南口タカシマヤタイムズスクエアにある、旗艦店新宿南店が約1400坪だからそれを超えるスケール。これで紀伊國屋書店は海外1万坪体制を構築、人口減の国内マーケットと異なる場所に、出版不況の活路を求めることになる。
ドバイは「ドバイモデル」と呼ばれる産業多角化を成功させた都市。石油で得た富を、観光業、サービス業、貿易業への投資に活用、それが消費を生み、海外からの旅行者を呼び込む。石油価値連鎖を演出した好事例として産油諸国が追随しようとしている。人口わずか4百万人強の小国の、「成長」に世界が注目している場所だ 。
紀伊國屋書店はその「成長」の果実に手を伸ばす。それも洋書で。1999年、高島屋からの誘いで紀伊國屋書店はシンガポールに出店したが1200坪の過半を洋書とし、成功した。ドバイ出店はその経験を活かす。海外店第一号米国サンフランシスコ店のミッションであった、海外駐在員向けの和書展開からの大いなる飛躍。日本語圏から英語圏への、「成長」取り込み戦略である。
英語圏でならできること
ところで、日本語圏では難しいが英語圏でなら可能なことがある。
米国の有力経済紙 The Wall Street Journal(WSJ)はネット世界で、コンテンツ有料モデルを成功させた数少ない事例。年間50ドルの有料会員の数は100万人で、年間5千万ドルの売上を計上している。ところがこれを無料化する計画が検討されている。コンテンツの無料化、広告モデルへの転換である。年間5千万ドルを捨てて、広告モデルで本当にそれ以上の収益を確保できるのか。紙媒体の「日経金融新聞」が廃刊された日本の感覚からは理解しがたい戦略だ。しかしネットでWSJを閲覧する人は10~15百万人いる。閲覧者一人当たり10ドル程度の広告収入があてにできるなら、その広告収入は1億ドルになる。そういう計算が、世界の英語人口からは可能。英語でビジネスをする、学習をする、英語圏の人口は10億人を下らない。その1%が10~15百万人。日本語圏1億人とはわけが違う。英語圏でならコンテンツ無料化=広告宣伝モデルへの転換も、無謀ではないどころか、賢明な選択肢ということになる 。
英語圏での「成長」に手を伸ばす
実は先程の紀伊國屋書店海外店の売上は、公表されている売上総額には含まれていない。だから海外での「成長」は公表売上からは見えにくい。海外店が非連結だからだが、似たような話が国の「成長」にもある。
新聞雑誌で目にする「GDP(国内総生産)」は「国内」の「生産」の数字で、企業や個人が海外で稼ぐ「所得」を捕捉していない。この「所得収支」を「GDP」に加えた概念が「GNI(国民総所得)」である 。
「GDP」は国境で閉じられた「国家」の発想、「GNI」は「国民」の発想。また「GDP」は日本語圏発想の数字、「GNI」は英語圏を射程に入れた発想の数字ともいえる。
石油価格の上昇はドバイを潤し、高い石油の支払いを余儀なくされる日本は所得を失う。石油価格の上昇は国内から海外への富の流出・移転にあたる。そのドバイに出店し、洋書で売上を立てる営為は、一旦流出した富を取り戻す活動といえる。
英語圏での「成長」に手を伸ばす。これ以外に日本の将来展望は出てこないのではないか 。そしてネットを使うなら、グローバル展開する大企業でなくとも、中小企業やNPO、農家や個人でも英語圏での「成長」を取り込むことが可能になる。しかも英語ではHPを閲覧する数が一桁違う。その1%を捕捉するだけでも、一定の売上を立てる展望が開ける。
自律的=内需主導型成長=望ましい未来?
ところが最近外需依存の景気動向に批判的な見解が多い。また米国発の金融上の混乱から、外需依存の経済構造では日本の将来は危ういとする論調もよく目にする 。確かに戦後から高度成長期にかけ、産業構造は政府がコントロールしてきた。この過程で国は後進国から先進国へ階梯を駆け上り、国の成長は企業の成長に連続し、企業の成長は従業員の給与の水準切り上げへつながった。「国家」の「成長」と(二人の)国民(=法「人」と個「人」)の「成長」とはほぼ重なっていた。自律的=内需主導型成長=望ましい未来との論調が出てくるのもわからないではない。ただしGDPの中でなら。
英語圏への「開国」
だが時代は変わった。国境で閉じられた「国家」の発想では日本語圏のみの活動となるが、国境の中は人口減少の時期を迎えている。GDP増大のためにも、むしろ英語圏への「開国」、GNI発想こそが求められている。
英語圏から海外旅行者を日本に呼び込めばGDPが増える。この3月から新幹線でもIC乗車券が使えるようなったが、政府はアジアの国々で共通にIC乗車券が使える利便性に注目している 。また英語圏に日本の食を売り込むなら、高品質で安全・安心な我が国の農林水産物・食品の輸出拡大の可能性が広がる 。自前の商品・サービスを海外に売り出す、これが「開国」の第一段階。
次に企業、個人はもっと海外立地へ外貨建て資産へ投資し、その配当を享受すべきだ。これまで所得収支の主要な主体は政府、年金基金だった 。自前のマネーを海外へ売り出す、これが「開国」の第二段階。
最後に海外で調達した商品・サービスを海外で売り出す。洋書を商材に、売れ筋の見極め、売れる棚作り、店頭サービスで付加価値を獲得する紀伊國屋書店の海外出店は、「開国」の第三段階を実践していることになる。国民(=法人と個人)よ、英語圏を目指せ。
情報社会生活マンスリーレポート 08年06月号
Column
日本語圏と英語圏、あるいは国家と(二人の)国民
神宮司信也
【今月の参考クリップ】
1.
●PHP研究所のデータ活用法と営業術/PubLine新メニュー紹介
http://publine.kinokuniya.co.jp/announce/Publine-20080227-web.pdf
店舗POSデータを使って、ベストセラーをどう演出するか。『女
性の品格』ケーススタディ。そして紀伊國屋の販売戦略の実態公開。(by神宮司信也)
2.
●GCC諸国の経済-経済多様化と石油価値連鎖の拡大
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-01/11-01-26.pdf
炭化水素部門がGDPの4割、国家収入の7割、輸出の9割を占め
る石油経済。金融業の勃興、不動産ブームも。(by神宮司信也)
3.
●マスメディアとインターネットの対立関係は、どこへ向かうのか
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0801/05/news007.html
マスメディア未満、ロングテール以上=「マジックミドル」。ここ
にある質の高い情報を収益化する、それが今年のテーマになるか。(by神宮司信也)
5.
●新「貿易立国」をめざして
http://www.jftc.or.jp/shoshaeye/contribute/contrib2008_03b.pdf
マネーの動きよりもモノの動きに着目し、分析した場合、日本経済
の前途は決して暗くはない。東アジアのネットワークに感謝。(by神宮司信也)
6.
●薄氷に立つ日本経済:内需主導の成長はなぜ実現しなかったのか
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0232.html
最大の要因は、やはり賃金の低迷。その背景にある中小企業の低生
産性。また政府の支援も中途半端。(by神宮司信也)
7.
●IC乗車券等国際相互利用促進方策検討委員会『最終報告』
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/01/010324_3/01.pdf
首都圏ではSuica とPASMO が、近畿圏ではICOCA とPiTaPa が相互
利用可能。そして韓国、中国でも日本と同規模のIC乗車券。(by神宮司信也)
8.
●海外食料需給レポート2007
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_rep/pdf/2007_03.pdf
自給率の低さばかりがクローズアップされるが、高品質で安全・安
心な我が国の農林水産物・食品の輸出拡大の可能性に注目。(by神宮司信也)
9.
●所得黒字16兆円はどこに消えたのか
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma/pdf/k_0802e.pdf
日本の所得黒字が貿易黒字を上回ったとされて久しい。日本は成熟
化した債権大国へ移行。しかし、私たちにその実感は乏しい。なぜ?(by神宮司信也)
【参考情報】
4..
・GDP と GNI でみるアジアの国々 鈴木厚志
http://www.teikokushoin.co.jp/teacher/high/geography/pdf/200702/geography200702-16-17.pdf/