日本文学史~芥川龍之介の「少年」を読んで~
今から15、6年前、私はサンタクロースを信じていた。いつソリに乗ってやってくるのかと窓の外をずっと眺めていたことがあったのを今でも覚えている、そしてサンタクロースがいないと知らされたとき、夢が砕け散るような思いをしたこともそれと同じくらい覚えている。
「少年」を読んだとき、私はそのことを思い出すと同時に「現実と空想(理想)、真実と虚構」を感じた。幼少時代の保吉はまさに空想に満ち溢れていたが、「知る」という行為により空想は消え、現実というものを実感していく。2章で保吉は、道の上の2本の線の謎を考える際、夢にも似た空想を張り巡らせる、しかし鶴は「教える」という行為でその夢をあっけなく壊してしまった。3章では死というものを保吉が考える。保吉は父が風呂からあがって1人取り残されたとき、「死ぬということは父の姿が永久に消えてしまうことだ」と悟る。ここでは誰かが「教える」わけではないが、保吉自身が「気づく」ことで現実というものを思い知らされる。また、4章の海の場面では自分が想像していた青い海と違う代赭色の海を知った。「バケツの錆」と表現された海は幼かった...