19世紀イギリスのハワードが提唱した「田園都市」について概念を整理した上で、その現代的意義と、日本に輸入された同概念の可能性と問題点について考察する。
田園都市と日本
序
近代以降の都市計画に必要とされていることは、他者と共存し、利害対立を高度な次元で解消する「公共空間」をつくっていくことである。このような視点は、18世紀の産業革命以後のイギリスにおいて、いわゆる近代都市の「病理」が表面化、深刻化していく中で浮上してきた。それは1848年の公衆衛生法に代表されるような、都市化の行き過ぎを是正する法制の整備に向かう場合と、社会改革者による理想像の考案・開発という方向に向かう場合の、二つのベクトルが存在していた。
本稿で扱う「田園都市」は、後者のベクトルから生じたものである。詳細は以下に述べていくが、その根底の思想的基軸は、都市に暮らす個々人の「人間の尊厳」を貧富の差に関わらず保障していこうというもので、それにより自律的・自発的な地域コミュニティ、つまり自律的な「公共空間」を形成することを理念としている。これは、新自由主義のもとに公共事業が削減され、自助努力・自己責任が是とされるにしたがい、「公共性」というものが揺らいできている現代日本社会を考えていく上で、非常に有意義であると考える。田園都市の諸相を概観した上で、日本におけるその可能..
田園都市と日本
序
近代以降の都市計画に必要とされていることは、他者と共存し、利害対立を高度な次元で解消する「公共空間」をつくっていくことである。このような視点は、18世紀の産業革命以後のイギリスにおいて、いわゆる近代都市の「病理」が表面化、深刻化していく中で浮上してきた。それは1848年の公衆衛生法に代表されるような、都市化の行き過ぎを是正する法制の整備に向かう場合と、社会改革者による理想像の考案・開発という方向に向かう場合の、二つのベクトルが存在していた。
本稿で扱う「田園都市」は、後者のベクトルから生じたものである。詳細は以下に述べていくが、その根底の思想的基軸は、都市に暮らす個々人の「人間の尊厳」を貧富の差に関わらず保障していこうというもので、それにより自律的・自発的な地域コミュニティ、つまり自律的な「公共空間」を形成することを理念としている。これは、新自由主義のもとに公共事業が削減され、自助努力・自己責任が是とされるにしたがい、「公共性」というものが揺らいできている現代日本社会を考えていく上で、非常に有意義であると考える。田園都市の諸相を概観した上で、日本におけるその可能...