『奈良時代の仏教の特質を論ぜよ。』
鎮護国家の思想と聖武天皇の政策
奈良時代の仏教は、飛鳥時代の聖徳太子によって基礎が確立されたのを受け、その後の諸大寺の建立と留学僧の帰国により諸宗が伝えられ、躍進的な発展を遂げた。特に諸国に国分寺や国分尼寺を建立しようとしたことや、廬舎那仏、つまり東大寺にある大仏を建造しようとしたことは、鎮護国家思想によるものである。
鎮護国家思想とは、仏教の力を借りることで国を護ろうとするものである。具体的には、諸国に国分寺や国分尼寺を建立し、僧寺には二十僧、尼寺には十尼を配置した。また、国分寺には『法華経』や『金光明経』などの経典を十部おき、これとは別に金字の『金光明経』の写しを一部、塔ごとに納めた。諸国に国分寺や国分尼寺を置いたのは、地方政治を行うために国府が置かれたのと同様に、諸国の精神的な意味での支えが必要であったからである。すなわち、国家に全国を統治する中央政府が存在するように、国分寺にも中央を表す寺が存在し、それが奈良の東大寺である。そして、国分尼寺のこれに当たるのが法華寺である。
これとともに鎮護国家を打ち立てるためのもう一つの一大事業が、前述...