『(d)アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。』
清朝政府が多くの権益を明け渡すようになるきっかけとなった戦いが、アヘン戦争である。
元々清朝は中華思想の下で諸外国に対して、対等な外交関係ではなく、朝貢国的な扱いをしていた。これに対してイギリスは、対等な外交関係を築くことで、中国とのアヘン貿易や綿工業の市場としての中国を活かす思惑があった。
逆にイギリスとのアヘン貿易を危険と感じた清朝は、林則徐を欽差大臣に任命することで、彼をアヘン密輸の取り締まりに当たらせた。特に清朝にとってのアヘン密輸での不都合は、銀の流出とそれによる財政への影響であった。清朝にとって、広州貿易での輸入超過は、銀の流出を引き起こし、財政にも影響していた。そのため林則徐はアヘンの密輸に対して徹底的な弾圧を行い、引き渡されたアヘンを生石灰と海水で破壊して海に流した。
これに対してイギリスの貿易監督官であるエリオットは不当な扱いであるということを本国に伝え、それを伝え聞いたイギリス議会は、反対派をわずかの差で押し切り、清に対して宣戦布告...