『初期議会から日清戦後にかけての政党について』
本論では、明治二三年(一八九〇)の国会開設による初期議会の成立から、明治二七年(一八九四)に勃発する日清戦争を経て、明治三三年(一九〇〇)に立憲政友会が成立するまでの政党の離合集散を、議会政治の進行を中心として論じていく。国会開設から日清戦争までのいわゆる初期議会では、超然主義の立場をとり民党を無視して政治をすすめる藩閥政府と、議会で多数を占める民党との激しい対立が起こる。日清戦争後には両者が接近し、憲政党や立憲政友会の誕生により、少なくとも形式的には議会で多数を占める政党が内閣をつくり、政治を行うという政党政治が成立することになる。
まずは初期議会の動向と、その中で政党がどのような役割を果たしたかについて述べる。最初に述べたように、日清戦争までの六回の議会では、政府は超然主義をとり、議会に対して停会・解散・選挙干渉によって軍備拡張予算を盛り込んだ予算を成立させようとし、民党と激しく対立した。明治二三年(一八九〇)七月、第一回総選挙が行われた時点では、総選挙後に合同し、統一政党を結党することを決めていた大同倶楽部・愛国公党・再興自由党の...